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聡明な心


今般ホームページの全てを「鰻の成瀬」の成功例から説明するため、本ページも全面的に改訂します。これを以下の順番で説明するよう現在工事中です。今暫くお待ち頂ければと思います。宜しくお願いします。

1 偉人の教え
1.1 釈迦
1.2 親鸞
1.3 孔子
1.4 ギリシャ哲学
1.5 アリストテレス

2 聡明な心
2.1 聡明な心
2.2 悪人正機
2.3 徒然草

3 実践知識
3.1 愛の実践知識
3.2 真理の実践
3.3 勇気の実践知識
3.4 節制の実践知識
3.5 正義の実践知識

4 近代化
4.1 欧米の近代化
4.2 アメリカの日本への貢献

5 精神風土
5.1 日本と欧米の精神風土
5.2 日本人と欧米人の思考パターン
5.3 日本人と欧米人の行動パターン
5.4 日本と欧米の社会の営み

6 悪しき弊害
6.1 真理/真実よりも組織の論理を重視する
6.2 抽象化が苦手で即物対応
6.3 やり方 (手順) を重視し真理/原理を軽視
6.4 大きな力を畏敬し頼る (他力本願)
6.5 難しい事は分からなくて良い
6.6 きまりに合っている事を正しいと言う
6.7 原理を原則と訳す
6.8 人間は50歩100歩と思ってる
6.9 技術者はいても科学技術者がいない
6.10 論理に思いが混入する
6.11 単位/次元を感覚で表現する
6.12 思い重視 (忖度/組織に埋没)
6.13 考えずに思いで行動
6.14 見た目で判断し本質を見抜かない
6.15 正義を建前と本音に分離する
6.16 自分だけ儲ける小金持ちが多い
6.17 文明史観がない

7 日本の良さ
7.1 日本の良さ
7.2 日本とイギリスの比較

8 自己紹介
8.1 私の経歴と実績
8.2 私の内なる思い

コラム
コラム1 高橋美知太郎元京都大学教授の1972年の日本医学総会の講演
コラム2 真理と正義の重要性を理解した小学1年生の体験
コラム3 私の心の拠り所
コラム4 私の最も愛する友人のアドバイス
コラム5 「液晶」の生みの親
コラム6 「地デジ」の生みの親
コラム7 「経路最適化ソフト」の生みの親
コラム8 「サービス科学」の生みの親
コラム9 日本で1番
コラム10 直感で東大教授を論破
コラム11 アメリカで1番
コラム12 イギリスで1番







ご覧頂ける通り、大変量が多くなっています。しかし、これらは非常に重要なものです。そのため全てお読み頂ければと思います。

尚、トップページからではなく直接このページに来られた方にお願いがあります。本ホームページは一冊の本に相当します。そのため「確かに役に立った」と思われたならば、トップページで説明する私の口座に拙著と同じ金額をお振込み頂ければと思います。何卒、宜しくお願い申し上げます。

では「人間の5元徳」から説明します。

1 人間の5元徳

では「心の営み」の解決策の「人間の5元徳」を説明します。最初に「人間の5元徳」の根拠となる「偉人の英知」を説明します。これを踏まえて「人間の5元徳の実践知識」を説明します。これにより容易にご理解、実践頂けます。

次に「心の整理法」を説明します。言うまでもなく、「千々に乱れる心」を整理する事は非常に重要です。これにより「考え」もまとまります。これも「偉人の英知」から説明します。

また「心による知識化」を説明します。先程「心」を整理すると「考え」がまとまると説明しましたが、「考えをまとめる最初に行う」のが「心による知識化」と考えています。これも「偉人の英知」から説明します。そのため直感的にご理解頂けます。

では次に「人間の5元徳の根拠」を説明します。


1.1 人間の5元徳の根拠

では「人間の5元徳の根拠」を説明します。最初に「心の営み」の解決策の「人間の5元徳」は「偉人の英知」から導かれた事を説明し、併せて「愛と真理と原理の重要性」は大変驚くかも知れませんが、教育基本法にも定められている事を説明します。

では
次に「偉人の英知」を説明します。これから「人間の5元徳」と「心の整理法」及び「心による知識化」は導かれています。次に「偉人の英知」を示します。


➀ 釈迦の発見した「人間の真理」
 
「老いと病と死」

➁ 親鸞聖人の発見した「心の真理」
 
「心には善人と悪人が存在」

➂ 孔子の発見した「人間の間の真理」
 
「仁」

➃ ギリシャ哲学の「人間の定義」
 
「Human Being」(ヒューマンを継続するから人間)

➄ アリストテレスの4元徳
 
「真理→勇気→節制→正義」

⑥ 吉田兼好の発見した「心の整理法」
 
「徒然草」

⑦ 孔子の発見した「知識の定義」
 
「知った事を識(しる)す」

■ 人間の5元徳
 
「愛→真理→勇気→節制→正義」

ご覧頂ける通り、7個の「偉人の英知」が示されています。ここで「人間の5元徳」は➀から➄の「偉人の英知」から導かれています。これをまとめたものが最後の「人間の5元徳」です。これは以降で説明するように私が「アリストテレスの4元徳」と「偉人の英知」から導いたものです。

最初に「偉人の英知」をそれぞれ説明し、最後に「人間の5元徳」を説明します。次に⑥と⑦から「心の整理法」と「心による知識化」は導かれています。尚、これは別の章で説明します。

では次に「釈迦の教え」を説明します。

1.1.1 釈迦の教え

では「釈迦の教え」を説明します。最初に釈迦の発見した
「人間の真理」から説明します。 これが先に示したように「老いと病と死」です。これは容易にご理解頂けると思います。「老いと病と死」は誰もが避ける事のできない「人間の真理」です。そして「老いと病と死」は「悲しいもの」です。

そのため「心の営み」として重要なのが「悲しみ」を「慈しむ」、「慈悲」です。つまり「慈悲」が「釈迦」、「仏教」の「基本となる教え」です。ここで「慈悲の心」を一般的に言えば、「愛」です。

お分かり頂ける通り、「人間の5元徳」の「愛」は「釈迦の教え」から導いています。

では次に「親鸞の教え」を説明します。

1.1.2 親鸞の教え

では「親鸞の教え」を説明します。最初に「親鸞」の発見した
「心の真理」説明します。これが先に示したように「心には善人と悪人が存在する事」です。言うまでもなく、「誰の心」にも「善人と悪人が存在」し、「悪人」は悲しいものです。そのため「心の営み」として重要なのが「悪人」を「慈しむ」、「愛する事」です。

これを教えるのが「親鸞聖人」の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」です。 この意味は【善人は誰でも極楽に行ける、ましてや悪人は極楽に行くべきだ。なぜなら悪人は夜一人になれば、「なぜあのような悪い事をしたのか」と「地獄の責め苦」を味わっているからです。そのため「悪人」にとっては「現世」が「地獄」であり、せめてあの世に行ったならば「極楽」に行かせてあげたい】というものです。

これは拙著で説明するように「私の心の拠り所」であり「5つの解決策の根幹」となっています。また「私の心の拠り所」の前には「真理と正義の重要性を理解した私の小学1年生の体験」があります。両者は「人間の5元徳」を導く「私の原体験」となっています。そのためコラムにまとめてありますのでご一読頂ければと思います。

コラム11 真理と正義の重要性を理解した私の小学1年生の体験
コラム12 私の心の拠り所


ここで「真理と正義の重要性を理解した私の小学1年生の体験」は「人間の尊厳とは何か」という視点から「真理の重要性」を学び、またこの世には「やって良い事と悪い事」という視点から「正義の重要性」を学んだというものです。

「私の心の拠り所」は「私は物心ついた時から、私の内なる悪人に苦しみ続け、その救いとして高専1年、つまり16才の時に「親鸞聖人」の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」を知り、苦しみから解放されたというものです。両者は先に説明したように「人間の5元徳」の出発点となるものです。そのためコラムをご一読頂ければと思いま

さて、ここで「悪人」について説明します。これはいわゆる「罪を犯した悪人」もいますが「普通の人の内なる悪人」もいます。そして、正に私は物心ついた子供の頃から16才まで本当に苦しみました。これを救ってくれたのが、親鸞聖人です。尚、だからと言って、私は親鸞が開祖となっている浄土真宗に入信した訳でもありませんし、皆様にお勧めするものではありません。

ご理解頂きたいのは私が10数年間苦しんだ「内なる悪人」です。例を挙げれば、人を傷つける言葉を平気で言ってしまう事、人を妬む事、逆に自慢する事などです。これらは全て「内なる悪人」です。これを改める事がなによりも重要という事です。

ではどうやって改めるのか? それを教えるのが親鸞の「悪人正機」です。つまり「内なる悪人」に気がつき、それを「正しい人間になるための機会」と捉え「正しい人間」つまり「善人」になる事です。

では、なぜそうするのか? そうしなければ「苦しむ」からです。正に私は物心ついた時から16才まで10数年間本当に苦しみました。この「苦しみ」から解放されるには「内なる悪人」に真正面から向き合い「善人」になるしかありません。この事は皆様も胸に手を当てれば十分ご理解頂けると思います。実践される事をなによりも願っています。

では次に「孔子の教え」を説明します。


1.1.3 孔子の教え

では「孔子の教え」を説明します。最初「孔子」の発見した「人間の間の真理」を説明します。これ
「仁」です。さて、「仁」は「人」が「二」と書きます。つまり「人が二人存在すれば、そこには仁が存在する」というのが「孔子」の発見した「人間の間の真理」です。

では「仁とは何か」と言えば、「孔子」は「忠義の忠」や「親孝行の孝」と説明しています。「忠」や「孝」を一般的に言えば、「愛」です。つまり「仁」とは「愛」です。

そのため「仁」を一般的に言えば、「人が二人存在すれば、そこには愛が存在する」という意味であり、そして「仁」という「真理」から生まれた「思いやりを持って接する」という「教え」が「礼」です。

お分かり頂ける通り、「仁」と「礼」が「孔子」、「儒教の根幹となる教え」です。この事をご理解頂けると思います。

では次に「ギリシャ哲学の人間の定義」を説明します。

1.1.4 ギリシャ哲学の人間の定義

では「ギリシャ哲学の人間の定義」を説明します。これはここまで説明してきた事と同じです。これが「ギリシャ哲学」の「人間の定義」の「Human Being」です。ご存知の方もおられると思いますが、英語で正式に「人間」という場合、「Human Being」と言います。 この意味は「Human」を「Being」つまり「ヒューマン」を「継続している」から「人間」という意味です。

また「ヒューマン」は「愛のある人間」です。そのため「愛を継続するのが人間」です。これが「Human Being」の意味であり、拙著で説明するように「Human Being」はギリシャ哲学の「人間の定義」そのものです。

尚、これは「高橋美知太郎元京都大学教授の1972年の日本医学総会の講演」から着想を得たものです。これもコラムにまとめてありますのでご一読頂ければと思います。

コラム13 高橋美知太郎元京都大学教授の1972年の日本医学総会の講演

この講演を要約すると「高橋美知太郎元京大教授のヒューマンの説明」=「美を感じる事ができ美を創った技術を理解する事」です。「高橋美知太郎元京大教授」は1972年の日本医学総会での講演で「ギリシャ哲学の結論」として「ヒューマン」には、2つの意味があると説明しています。

1つは「ヒューマニスト」であること、つまり「人を愛し慈しむ優しさ」を持つことです。もう1つは当時のあるギリシャ神殿の大理石像を見てその「美」を美しいと感じる事ができ、またその「美」を作った「技術」を理解できる能力を持っている事と説明しています。

この説明にはまったく賛同できました。そして「だから、英語で人間のことを、「Human Being」と言うんだ」と思いました。つまり英語の「Human Being」は、「2000年前のギリシャ哲学の結論そのもの」と理解できました。「高橋美知太郎元京大教授」の「ヒューマンの説明」は私の人間というものに対する基本の認識、理解となっています。

さて、ここでご理解頂きたい事は、昨今「スポーツやライブのコンサート』から「感動した」や「元気をもらった」と言えば、「自分は時代のトレンドにマッチした良い人間」と錯覚してる事です。

そうではありません。「感動した」のは、「元気をもらった」のは「何故かと考える事」です。それが「高橋美知太郎元京大教授」の説明する「美つまり感動と美つまり感動を創った技術そして努力を理解するヒューマン、愛のある人間」です。つまり「感動/元気を生み出したもの」を理解する事です。これにより本当に「感動した、元気をもらった」と得心する事ができます。

では何故「美つまり感動と美つまり感動を創った技術そして努力を理解する事」が必要なのでしょう。これは自然に進歩するからです。つまり創った技術を理解すれば、自分もそのようにできます。すなわち「勉強する」という意識なしに自然に進歩できます。何の動機もなく「勉強」をしようというのは大きな精神的負担となります。その負担、障壁がなく自然に勉強でき進歩できるからです。

これを一般的に言えば「好きこそ物の上手なれ」です。これが「美と美を創った技術を理解する」という意味です。この事は十分ご理解頂けると思います。

では次に「アリストテレスの4元徳」を説明します。

1.1.5 アリストテレスの4元徳


では「アリストテレスの4元徳」を説明します。さて「愛を継続する人間」の「徳」を定義したのが
「アリストテレスの4元徳」の「真理→勇気→節制→正義」です。

この意味は【「真理」を発見した人間は、まだそれを知らない人間に教えようとする「勇気」が湧き、そして強きは弱きを助けるように教える時に「相手の分かる言葉」で話す「節制」を実行し、節制する心を持つ人間は必ず人を助ける「正義」を実行する】という意味です。

さて、ここで日本人が誰でも抱く疑問から説明します。それは「なぜ、真理なのか。なぜ、真理はそれほど大事なのか」です。以降の「1.1.7 平成18年度に改正される前の教育基本法」で説明するように、「真理」は非常に重要ですが、率直に言って、日本人はそのように理解しています。そのため前記の疑問を抱かれると思います。

では、なぜ真理は大事なのか。これは「釈迦や親鸞や孔子の教え」からご理解頂けると思います。偉人は全て「真理」を発見し人々に広めました。これから「真理の重要性」は十分ご理解頂けると思います。

但し、日本、更に言えば、アジア全体もそうですが、僧侶が教えるのは「釈迦や親鸞や孔子の発見した真理」ではなく、「信心する事」や「作法」です。これは正に「思い重視」そして「手順重視」の「悪しき弊害」のためです。

さて、ここで比較のために説明すると、「4.1 欧米の近代化」で説明するように「真理」を教えず「信心する事」や「作法」を教えるのはヨーロッパも同じです。但し、16世紀までです。16世紀からは、自ら聖書を読み「キリストの教え」を自ら理解する人間が現れました。

これが「プロテスタント」です。現在キリスト教は「カソリック」と「プロテスタント」の2つの宗派がありますが、イギリスやアメリカなどの国々がプロテスタントです。それに対してフランスやスペインなどの国々がカソリックです。

両者の差を端的に言えば、「ローマ法王」に対する姿勢です。カソリックは崇拝です。それに対してプロテスタントは無関係です。というよりも、基本的にプロテスタントには「教会」というものがありません。何故なら、自宅で聖書を読めば良いからです。

そして、もう1つの端的な差が、18世紀の産業革命です。これはプロテスタントのイギリス人が成し遂げたものです。そして、イギリスは「大英帝国」として発展し、更にそれを引き継ぐ形で現在世界をリードするのもプロテスタントのアメリカ人です。

では、これは何から始まったのかと言えば、「自ら聖書を読みキリストの教える真理を理解する事」です。それは些細な事でしたが、大きな差を生み出しました。「真理」は重要です。この事をご理解頂けると思います。

では次に「人間の5元徳」を説明します。

1.1.6 人間の5元徳

では「人間の5元徳」を説明します。これは「アリストテレスの4元徳」に「愛」を加えたものです。つまり「愛→真理→勇気→節制→正義」が「人間の5元徳」です。なぜ「愛」を加えたのかと言えば、「人間を愛する」から「釈迦」や「親鸞聖人」そして「孔子」や「アリストテレス」は粒粒辛苦し「真理」を導き「教え」として広めたからです。

そのため「アリストテレスの4元徳」に「愛」を加えて「愛→真理→勇気→節制→正義」の「人間の5元徳」を導きました。

このポイントはお分かり頂けると思います。「愛」が「出発点」である事です。この理由は明らかです。前述の通り、「釈迦」や「親鸞聖人」そして「孔子」や「アリストテレス」は「人間を愛する」から「人間とは何か」、「心とは何か」、「人間の間には何があるのか」、「徳とは何か」を明らかにし、「真理」を発見しました。まり「愛」から「真理」は生まれます。 そのため「愛→真理→勇気→節制→正義」の「人間の5元徳」を導いています。

次に「人間の5元徳」の最初の「愛→真理」の意味は「愛は人間の心を純粋にし、純粋な心により、それまで欲望に囚われて見えなかったものが観えるようになり真理を発見する」という意味です。正に偉人はそのようにして「純粋な心」により「真理」を発見した考えています。尚、「人間の5元徳」の以降は「アリストテレスの4元徳」と同じです。また「愛→真理→正義」は「人間の5元徳」を簡潔に表現したものです。

さてここで前述の説明の中の言葉の「見る」と「観る」を説明します。「見る」は「実体を見る事」、「観る」は「本質を観る事」とご理解頂ければと思います。ここで是非ご理解頂きたい事は「人間の知的活動の出発点」は「純粋な心により、それまで欲望に囚われて見えなかったものを観る事」です。つまり「見る→観る→分る→覚える」です。

ではこれから何を説明したいのかと言うと、「観る→分る」を飛ばして「覚えようとする勉強」は「何々したいという欲望に基づくもの」であり「誤りであるという事」です。そうではなく、「純粋な心」により「観て、分る事」が重要だという事です。敢えて言えば、「観る→分る」を飛ばして「覚えようとする」のは「欲望に目が眩んだ悪人のする事」です。そうではなく「純粋な心」で「観る事」が大事です。

そうすれば「覚え」ます
。何故なら、人間は「純粋な心」で「観て、分かった事」つまり「理解した事」は絶対忘れないからです。これは「心による知識化」で改めて説明しますが、あらかじめご理解頂ければと思います。


以上から、「人間の5元徳」は「偉人の英知」から導かれた事をご理解頂けると思います。

最後に私が「人間の5元徳」の発端となった「愛→真理→正義」の着想を得た背景を説明します。これはもう32年前の40才の時です。日本IBMの研究所で研究開発の仕事を通じて人生で大事なのは愛→真理→正義」と自然に理解できたためです。

但し、正確に言えば、「真理→正義→愛」と表現しました。これを「愛→真理→正義」と「言った方が良いよ」とアドバイスしてくれた友人がいます。この「友人」が「後田龍之さん」です。そのため「愛→真理→正義」の「生みの親」は「後田龍之さん」と言っても過言ではありません。これをコラム14にまとめてありますので、ご一読頂ければと思いまう。

コラム14  「私の最も愛する友人」の「後田龍之さんのアドバイス」

コラムで説明するように、彼は朝からテンション高く一方的にガンガン話す「私の話」を本当に良く聞いてくれました。そして「アドバイス」してくれました。

彼は私と同い年で東大の物理卒です。50代に亡くなりましたが本当に「心根の良い人」でした。このホームページを完成できたのも、今から32年前の「後田さんのアドバイスのお陰」と言っても過言ではありません。ご冥福を祈ると共に、最大限の感謝を申し上げます。

後田さん、やっと完成したよ。話しを良く聞いてくれて、本当にありがとう。

尚、今回拙著の執筆のため
「釈迦・孔子・ギリシャ哲学」などの偉業を考察した結果、正に「人間の5元徳」を偉人は実践した事に気づき、正式に定義する事としました。

では次に「平成18年度に改正される前の教育基本法」を説明します。

1.1.7 平成18年度に改正される前の教育基本法

では「平成18年度に改正される前の教育基本法」を説明します。このポイントは「愛と真理と正義の重要性」は教育基本法にも定められている事です.

最初にご理解頂きたい事は「日本国憲法」は「アメリカ」が「英語の原文」を定めたものとして知られていますが、もう1つが定めたものがあります。それが「教育基本法」です。そして、これに「愛と真理と正義の重要性」が謳われています。次に「平成18年度に改正される前の教育基本法」の「前文の後半」と「第1条(教育の目的)」を示します。

前文の後半
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第1条(教育の目的
教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた、心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない


ご覧頂ける通り、「前文の後半」で「教育の目的」を定めると謳い、「第1条」で「真理と正義を愛し」の通り、「愛と真理と正義の重要性」が明確に謳われています。

しかし、率直に言って、この事を知っている日本人は殆どいないと思います。また日本人で「愛と真理と正義の重要性」を教えられた方はどなたもいないと思います。更に大変残念ですが平成18年度に「真理と正義を愛し」は「真理と正義を希求し」と改められました。つまり「真理と正義」は「どうでもよいお飾り」とされてしまいました。

英語で「Love」、「愛する」とは「絶対に必要なもの」という意味です。それに対して「希求」は「希望し求めるもの」です。「真理と正義」は「希望し求めるもの」ではありません。「絶対に必要なもの」です。

「愛と真理と正義」は「4 日本と欧米の近代化」で説明するように「欧米の近代化の源」です。
そのためアメリカは「真理と正義を愛し」と定めました。この事をご理解頂くと共に教育基本法から「愛と真理と正義の重要性」を再確認して頂ければと思います。

では次に「人間の5元徳の実践知識」を説明します。


1.2 人間の5元徳の実践知識

では「人間の5元徳の実践知識」を説明します。既に説明したように「偉人」は正に「人間の5元徳」を実践する事により「仏教/儒教/ギリシャ哲学」を創造し、人々に貢献して来ました。これはトップページで説明した福島原発事故を解決した「アメリカ人」も同じです。「愛→真理→正義」を実践し日本に貢献しました。

つまり偉業には全て基本として「心の営み」の「人間の5元徳」があります。但し、率直に言って、皆様の中には「自分はこのような人達とは違う普通の人間であり、とてもそのような事は出来ない」と感じる方も少なくないと思います。

それは良く分かります。但し、ここでご理解頂きたいのは「親鸞聖人」の発見した「心の真理」=「心には善人と悪人が存在」です。悪人は夜一人になれば、「なぜあのような悪い事をしたのか」と「地獄の責め苦」を味わうのでしょう。

それは言うまでもなく、「善人の心」が残っているからです。つまりどのような人間にも「善人の心」があり「成功を、幸せを願う心」があります。すなわち「成功、幸せを願う善人の心」があります。

これが「一寸の虫にも五分の魂」です。つまり誰にでも「一寸の虫にも五分の魂」があります。これを思う存分発揮させる事が「成功、幸せ」につながります。そのため「普通の人間」と胡麻化さず「一寸の虫にも五分の魂」を発揮しましょう。

但し、どのように「人間の5元徳」の「愛→真理→正義→勇気→正義」を実践するのか「良く分からない」という方も多いと思います。そのため
「実践知識」を用意しています。次にこれを示します。

「愛の実践知識」
愛すれば事を明らかにし、真理を見出し、真理に従う事

「真理の実践知識」
空気を読まず、和を乱してでも、自分が正しいと思ったことを、いうべきときに、はっきりという事

「勇気の実践知識」
事を明らかにした結果、生まれる思い、つまり志に基づく事

「節制の実践知識」
常に愛のある人間(ヒューマン)を維持し、相手の分かる言葉で話す事

『正義の実践知識』
「自助の正義の実践知識」
思い悩む自分を自ら助ける「自助の正義」を実践する

「実行の正義の実践知識」
主張するだけではなく正義を実行する

「大金持ちの正義の実践知識」
自分と相手が社会全体と儲かる大金持ちの正義を実践する


ご覧頂ける通り、「人間の5元徳」には「実践知識」が用意されています。

では次に「愛の実践知識」から説明します。

1.2.1 愛の実践知識
「愛すれば事を明らかにし、真理を見出し、真理に従う事」

では「愛の実践知識」から説明します。ご覧頂ける通り、「愛の実践知識」は3つから構成されます。「愛すれば事を明らかにし」、「真理を見出し」、「真理に従う事」です。では1つずつ説明します。

最初に皆様は「愛すれば、何故事を明らかにするのか」と疑問を持たれる方も少なくないと思います。これは誰かを、何かを愛するようにならば、対象を色々調べ始める事からご理解頂けると思います。つまり「知りたくなる」からです。これが「人間の人間たる所以」です。

そして「愛」は「恋」とは異なります。「恋は盲目」の通り、対象にのめり込んでしまいます。例えて言えば、「恋」は人間を「盲目」にしますが、「愛」は人間を「事を明らかにする聡明」にします。これが「愛すれば事を明らかにする」のポイントです。

次に「真理を見出し」の「真理」も「大袈裟」と感じる方も少なくないと思います。しかし、そうではありません。例えば、何かを愛する人は「奥義」つまり「真理」を極めます。また異性を愛するならば、「赤い糸」という「真理」に気づきます。そのため「真理を見出し」というのも「大袈裟」ではありません。これもそのように説明されれば容易にご理解頂けると思います。

尚、ここで「真理」について既に説明した「見ると観る」から説明します。「真理」は「現実に見えるもの」ではありません。そうではなく「純粋な心」により「観るもの」です。これは「赤い糸」という「真理」や「奥義」という「真理」からご理解頂けると思います。但し、この辺りから「難しい事」を「説明するな」と感じるかも知れませんが、分かり易く言えば、次の通りです。

「私」を
「関三郎」という「実体」として理解するのが「見る」
「人間」という「真理」として理解するのが「観る」

「真理」は「現実に見えるもの」ではなく「観るもの」という説明は「雲を掴むような言い方」ですが、「関三郎は人間」という「真理」から容易にご理解頂けると思います。

最後に「真理に従う事」の意味は「天に唾する」からお分かり頂けると思います。天に唾すれば唾が自分に落ちてきます。つまり災いを被る事になります。唾は「重力」という「真理」に従い天ではなく下にするものです。

さて良くあるのが「自分」には「これと云った好きなもの、愛するものがない」という方がおられますが、忌憚なく言って、それは嘘です。前述の通り、「悪人にも善なる心」つまり誰にでも「一寸の虫にも五分の魂」があります。これを思う存分発揮させる事が大事です。それが「成功、幸せ」につながります。

率直に言って、「自分には好きなものがない」という方は「それを人前に出すのは恥ずかしい、照れる」というのが本当の所だと思います。そういう時は「信頼出来る人」に「実は自分はこうなんだけど」と話してみる事です。そうすると「案ずるより産むが易し」の通り、意外とすんなり行くものです。

但し、このように通り一遍に説明しても、なかなか出来るものではありません。やはり「そうなんだ」と納得、得心する事が不可欠です。そのため次に実例から説明します。これはコメディアンで植木等の付き人をした小松政夫の実例です。これから「実は自分はこうなんだけど」を十分ご理解、ご納得頂き、実践される事を願っています。

では小松政夫の実例を説明します。以前、小松政夫の半生を描いたテレビ番組を見て「偉い」と思った事があります。この時に正に「案ずるより産むが易し」を実感しました。そしてそれは正に「信頼出来る人」の支援により為されたものです。

小松政夫はクレイジーキャッツのある公演の時に5分間だけ「ちょい役」をやる事になり、笑いをとれず上手くやれなかったため、最後に植木等やハナ肇の前でリハーサルをする事になります。

この時、小松政夫は後に彼のお家芸となる
「映画解説者の淀川長治の物真似」をやります。これを観た植木等やハナ肇は「いいじゃないか、これで行け」と励まし、翌日笑いを取り成功する事ができました。このポイントは2点です。

1つは小松政夫は映画解説者の淀川長治の物真似」が得意である事は分かっていたが、言い出せなかった事です。何故なら、クレイジーキャッツは当時の芸能界のトップです。付き人とは言え、格下の「映画解説者の淀川長治の物真似」をするとは何事かです。そのため小松政夫は言い出せなかったと思います。しかし、ほとほと困り「実は自分はこうなんだけど」と明かしたのだと思います。

もう1つは大大先輩の植木等やハナ肇は「いいじゃないか」と励ました事です。つまり2人にしてみれば、(以下、私の意訳です)、自分達のように日本中から笑いを取る大技ではない「小技の芸」ですが、それを褒め励ました事です。

私が「偉い」と思ったのは正にこの点です。人をその人なりに思う存分力を発揮させた事です。
つまり「一寸の虫にも五分の魂」を尊重した事です。これが植木等やハナ肇は
「大変偉い」と思った事です。

確かに小松政夫は植木等やハナ肇のようにトップスターの芸人になれないかもしれないが(私の個人的見解です)、「山椒は小粒でもぴりりと辛い芸人」に「なれ」と応援したと思います。これがなによりも「偉い点」です。この事は皆様にも十分ご理解頂けると思います。

このエピソードからお分り頂ける通り、皆様のそばにも植木等やハナ肇のように応援してくれる方は絶対います。そのため「自分はこうなんだ」と明かしましょう。応援してくれます。「自分には好きなものがないという方」が「自分はこうなんだ」と明かす事を何よりも願っています。

では次に「真理の実践知識」を説明します。


1.2.2 真理の実践知識
「空気を読まず、和を乱してでも、自分が正しいと思ったことを、いうべきときに、はっきりという事」

では「真理の実践知識」を説明します。ご覧頂ける通り、これは5つから構成されます。「空気を読まず」、「和を乱してでも」、「自分が正しいと思ったことを」、「いうべきときに」、「はっきりという事」です。最初に出典を説明し、以下、順番に説明します。

では出典を説明します。これは浜田宏一エール大学名誉教授、前内閣官房参与の著書の『アメリカは日本経済の復活を知っている』です。正に浜田氏は「その通りに実行し、日銀総裁は白川氏から黒田氏となり、日銀の金勇政策」を大転換しました。これから妥当性は十分ご理解頂けると思います。では次に以下、1つずつ説明します。

最初に皆様は「空気を読まず」に大変驚かれると思います。言うまでもなく、昨今の日本では「空気を読む事が賢い事」とされているためです。しかし、トップページで説明したように空気を読むのは「思い重視の悪しき弊害」のためです。それは正しいものではありません。そのため浜田氏は明確に否定します

次に「和を乱してでも」も大変驚かれると思います。聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の通り、「和」が大事と思っているためです。但し、それも、そもそもこの意味を誤解しています。これは「争いのない平和」の「」を意味するのであり、「仲良くしましょう」の「和」ではありません。それは2番目です。1番目は「争いのない平和」の「和」です。

これを示すのが「対等な文化交流」を実現した「遣隋使」の持参した「国書」です。これは仲良くする事は2目で、隋から攻められないようにする、つまり「平和」を実現する「和」が1番目の目的です。尚、これも正確に言えば、2番目です。1番目は以降で説明します。但し、それも「平和」の「和」を実現するためです。

この事は「日本は日出る国、隋は日没する国」という聖徳太子から隋の国王への「国書」から明らかです。ここで敢えて
「日本は日出る国」だが「隋は日没する国」と「和を乱してでも」表現したのには聖徳太子の熟慮があります。

このポイントは
「日本は日出る国、隋は日没する国」は真実である事です。つまり「隋」にしてみれば「隋は日没する国」と言われるのは「気持良いもの」ではありません。しかし、それは真実です。誰に憚るものではありませんし、「隋」を馬鹿にしたものでもありません。

そうではなく「そのような真実に気がつく日本人」は「大変頭の良い賢い人間」であり、「そのような賢い国に攻めに行っても敗れるのではないか」、そうではなく「日本を対等な国として文化交流する方が得策」と「判断するのではないか」という熟慮があります。そして正にその通り、「隋」は判断し日本と対等な文化交流する事になりました。

但し、ここでご理解頂きたい事は、それが聖徳太子のゴールではない事です。ゴールは国内の豪族を押さ平和を実現する事です。つまり隋と対等な文化交流を築く事は大きな功績となり、豪族にとっても利のあるものとなり、その結果、それを実現した聖徳太子に従う事となり、争いを押さえ平和を実現できる事です。これが聖徳太子のゴールであり「和を以て貴しとなす」の本当の意味です。

お分かり頂ける通り、
「日本は日出る国、隋は日没する国」は「和を乱す言葉」です。しかし、それでも、つまり「和を乱してでも」聖徳太子はその言葉を使いました。これが「和を乱してでもの意味です。

そしてこれが浜田氏が「和を乱してでも」日本の金勇政策を変えようと思った事です。尚、この場合の「和を乱す」とは一言で言えば、「それまでの日銀の利権の構造を打ち破るという事」です。この事は浜田氏の著作から十分ご理解頂けます。

次に
「自分が正しいと思ったことを」は容易にご理解頂けると思います。さここでご理解頂きたい事は、これは聖徳太子も同じであった事です。

「日本は日出る国、隋は日没する国」という文言を見て、豪族の中には「これは隋に喧嘩を得るようなものだ。やめた方がいい」と反対する人もいましたが、聖徳太子は取り下げなかった事です。「自分が正しいと思ったこと」を通しました。これが聖徳太子の大変偉い点です。

また「いうべきときに」もご理解頂けると思います。
物事には「潮時」というものがあります。これを判断して実行する事が重要です。正に「国内の豪族」を抑えるタイミングを見計らって遣隋使を派遣しました。これも聖徳太子の大変偉い点です。

最後に「はっきりという事」は良くご理解頂けると思います。「日本は日出る国、隋は日没する国」とはっきり言った事です。

さて、ここで「はっきり言う」ためには何が必要かです。これは容易に想像つくと思います。「日本は隋より東にあるため早く日が昇る事」つまり「真実、真理」を解き明かしていた事です。

お分かり頂ける通り、聖徳太子は「日本」を「愛する」ならば、「日本は日出る国、隋は日没する国」という「真理」に気がつき、遣隋使を派遣し、対等な文化交流を行い、日本と隋が争う事もなく、そして国内の平和を実現するという「正義」を実践しました。

つまり「愛→真理→正義』の「人間の5元徳」を聖徳太子は実践されたました。この事を最後に十分ご理解頂ければと思います。

では次に「勇気の実践知識」を説明します。


1.2.3 勇気の実践知識
「事を明らかにした結果、生まれる思い、つまり志に基づく事」


では次に「勇気の実践知識」を説明します。ご覧頂ける通り、これも3つから構成されます。「事を明らかにした結果」、「生まれる思い」、「つまり志に基づく事」です。では以下、1つずつ説明します。

最初に
「事を明らかにした結果」から説明します。ここで皆様は「困っている人を見たらスグ助けるのが勇気」ではないかと感じると思いますが、それはその通りですが、助ける前に「事を明らかにする事」が必要です。つまり状況を正確に把握する事が不可欠です。そうでなければ「勇み足」や「蛮勇」となってしまいます。

これを教えるのが「義を見てせざるは勇無きなり」です。そこに「義」を見る事が必要です。では「義とは何か」と言えば、「正義」です。「正義」は「愛→真理→正義」の通り、愛すれば事を明らかにして真理を見出し、真理に基づいて行うものです。

そのためすぐ行動するのではなく、事を明らかにする事が必要です。このような説明は「初めて聞く」と感じると思いますが、そのように説明されれば容易にご理解頂けると思います。

尚、良くアニメなどでは「愛と勇気と正義」と言われますが、「愛と真理と正義」です。「真理」に基かない「勇気」は「勇み足」や「蛮勇」となってしまいます。そのため事を明らかにして真理を見出す事が必要です。この事も十分ご理解頂けると思います。

次に重要なのが「生まれる思い」です。事を明らかにして真実、真理を理解すれば、人間には「思い」が生まれます。この思いは事を明らかにする前の「思い」とは異なる事に気がつきます。つまり「どうしてもやり遂げよう」という「強い思い」が生まれます。

これが最後「つまり志に基づく事」です。即ち「どうしてもやり遂げよう」という「強い思い」が「志」です。これに基いて揺るぎのない自信に基いて行うのが「本当の正義」です。これもそのように説明されれば容易にご理解頂けると思います。


では次に「節制の実践知識」を説明します。

1.2.4 節制の実践知識
「常に愛のある人間(ヒューマン)を維持し、相手の分かる言葉で話す事」


では「節制の実践知識」を説明します。ご覧頂ける通り、これは2つから構成されます。「常に愛のある人間(ヒューマン)を維持し」、「相手の分かる言葉で話す事」です。以下、順番に説明します。

では
「常に愛のある人間(ヒューマン)を維持し」から説明します。最初に「節制の極限の言葉」から説明します。これがキリストの教えの右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」です。つまり「私の右だけではなく、左の頬を殴って、あなたの気が晴れるなら、それが私の願い」というものです。

但し、そこまで行く前に重要なのが親鸞聖人の教える「内なる悪人」です。つまり
「常に愛のある人間(ヒューマン)を維持し」が出来ない程、手の付けられない相手であっても、それと同じように「自分も悪人になってはいけない」という事です。

但し、率直に言って、これを実行するのは至難の技です。ではどうすればいいのでしょう。それは叱正です。叱って正す事です。正論を教える事です。つまり「人間としての正しい道を教え諭す事」です。これも勿論「節制」です。

しかし、その時に重要なのが、「相手の分かる言葉で話す事」です。これは先に説明したように聖徳太子が「日本は日出る国、隋は日没する国」と話したように、誰でも分る事実に基いて話す事です。これを忘れて説教または相手の批判になるのは「相手の分かる言葉で話す事」ではありません。それも「自分の内なる悪人のする事」です。それは絶対してはいけません。この事は容易にご理解頂けると思います。

さて人間は成功すると「節制」を忘れて「傲慢」になります。これも絶対してはいけません。「傲慢」
「自分の内なる悪人のする事」です、絶対してはいけません。これも容易にご理解頂けると思います。

では最後に「正義の実践知識」を説明します。

1.2.5 正義の実践知識

では最後に「正義の実践知識」を説明します。これは次に示す通り、2つあります.

「自助の正義の実践知識」

「建前ではない正義の実践知識」

では次に「自助の正義の実践知識」を説明します。

1.2.5.1 自助の正義の実践知識

では「自助の正義の実践知識」を説明します
トップページの
「桐生祥秀選手の9.98秒」で説明したように思い悩む自分を自ら助ける「自助の正義」を実践する事は非常に重要です。「正義」は人を助ける事ですが、自らを助ける「自助の正義」が基本です。これにより成長、進歩できます。

では「自助の正義」をどのように実践するのでしょう。次にこれを私の小学生の体験から説明します。

これは小学生も終り、中学生になる春休みの事です。友達数人と隣村との境にある小川に釣りに言った時の帰りの話しです。

ある所で自分のポケットからからナイフが落ちた事に気がつきましたが、夕方のため友達が足早に帰っていくため、自分も歩調を合わすため気がついても友達と一緒にいく事にしましたが、ある地点で「ナイフを取返しに行かなければ一生自分は何もできない人間になってしまう」という「強い思い」が湧き起こってきました。

そのため友達にナイフを落したようなので取返しに行ってくると伝え、引き返し、夕方の薄暗い道端にナイフが落ちているのを見つけ、取り戻し、急いで友達と合流しました。

以来、自分は「自分の意志」で物事を実行できるようになりました。つまり諦めず、すなわち自分を見捨てる事がなくなりました。これは「小学生」から「中学生」つまり「自分の意志で物事を進める事ができる大人への第一歩だった」と考えています。

ナイフを取返しに行ったのが正に「自助の正義」でした。これにより「大人への第一歩」を踏み出す事ができたと思っています。

お分かり頂ける通り、「自助の正義」は思春期や若い時に経験すると考えています。但し、「自分はそのように出来なかった」という方も少なくないと思います。でも大丈夫です。次の機会があります。その時にやればいいいのです。人生はマラソンです。一度出来なかったからといって、一生できないという事はありません。

「走れ、メロス」という太宰治の小説があります。尚、私は読んでいませんが、自分なりに小学生の時にナイフを取返しに行った自分は「走れ、メロス」だったと考えています。「今まで出来なかった」という人も次は「メロス」になって必死に走りましょう。そうすれば絶対できす。実践される事をなによりも願っています。

では次に「実行の正義の実践知識」を説明します。


1.2.5.2 建前ではない正義の実践知

では「建前ではない正義の実践知識」を説明します。これは良く分ると思います。正義は主張するだけではなく実行する事が大事です。これは「自助の正義」も同じです。「やろう」と思ってるだけではだめです。実行する事が大事です。

これを一般的に言えば、有言実行です。言った事はやる事です。思った事はやる事です。しかし、実態は異なります。この良い例はテレビで評論家や政治家が「これが問題」と話しても実際解決しない事です。または職場で「ここが悪い」と話しても実際に解決しない人が多い事です。

何故このような事があるのかと言えば、原因は「建前と本音」と考えています。つまり「建前」として「正論、正義」を主張しても「本音」は「そんな事は自分の仕事」ではないと思っている事です。

そうではなく「評論家」は「視聴率」が上がる事が大事であり、政治家は選挙で当選する事が大事であり、職場で問題を指摘する人は「自分は良い人間」とアピールしたいだけです。しかし、それでも全然問題ないと思ってる事です。何故なら「建前と本音」です。

つまり「思い重視」のため「建前」を「正論」として話す事が大事であり、
「本音は別でも全然問題ない」と思ってる事です。正に「建前と本音」
は「日本の悪しき弊害」です。そのため解決策は「1.2.4 節制の実践知識」で説明した様に「有言実行して下さい」と真正面から「叱正する事」です。この事は言うまでもありません。

では最後に「心の整理法」と「心による知識化」を説明します。最初に「心の整理法」を説明します。

1.3 心の整理法

では「心の整理法」を説明します。最初に根拠を説明します。これは「偉人の英知」で示す「吉田兼好」の発見した「心の整理法」=「徒然草」です。

「徒然草」は皆様もご存知と思います。これは「心の整理法」を教えてくれます。つまり「心」が迷った時、「心」を徒然なるままに書いてみる事です。最初は「他愛」もない事を書きます。しかし、「他愛」もない事を徒然なるままに書いてると、最後は「自愛」となります。

つまり自分の「心の声」が話し始めます。そして迷ってる心がどうしたら良いかを教えてくれます。すなわち「心」を整理し導いてくれます。これが「吉田兼好」の発見した「心の整理法」=「徒然草」という意味です。

ここで「心の声」が「親鸞」の教える「善人」です。つまり「自分の内なる善人」が「心」を導いてくれます。これから改めて徒然なるままに心の有様を書く「徒然草」の重要性をご理解頂けると思います。

さて「徒然草」に相当するものが実は欧米にもあります。これが欧米人の「心の整理法」=「Introspection/懺悔室」です。尚、英語で「自分を省みる事」を「Introspection、内省」と云います。「内省」は反省ではなく、自分の心と向き合う事です。これにより自分の至らなさに気がつき、どうすれば良いかに気がつきます。

日本では「吉田兼好」の「徒然草」の重要性が理解、認識されていませんが、英語の「Introspection」から重要性を十分ご理解頂ければと思います。

では最後に「心による知識化」を説明します。


1.4 心による知識化

では「心による知識化」を説明します。先に説明したように皆様は「心による知識化、何それ?」と疑問を抱かれる方も多いと思います。そのため最初に根拠を説明し、次に意味と有用性を説明します。十分ご理解頂ければと思います。

では根拠を説明します。これは「偉人の英知」の「孔子」の発見した「知識の定義」=「知った事を識(しる)す」です。

最初に「知識の語源」を説明します。これは孔子がある村を訪れた際に老婆から聞いた話しから生まれたものです。老婆は亭主が虎に食い殺され、更に息子まで虎に食い殺されたと嘆きます。そのため孔子はなぜ隣の国に移らないのかと聞くと、老婆は隣の国は年貢が酷く、とても移れるものではないと話します。

そのため孔子は弟子に「苛政は虎よりも猛し」と「知った事」を「識(しる)す」ように指示したというものです。つまり「知識」とは「知った事を識(しる)す事」です。

さてここで留意する事は知ったのは自分ですが、「自分の何」が知ったかです。これは「心」と考えています。つまり「心」が理解した事を「記録」として残す事です。

では何故「記録」に残すのかと言えば、後で「知識」として活用するためと考えています。つまり「心」が「理解した事」を「後に再利用できるようにする」のが「知識」です。これが「心による知識化」という意味です。

そしてこれが
「人間の知的活動」つまり「思考力」の出発点と考えています。つまり「心」と「知的活動」はつながっている事です。これがトップページで説明した「福島原発事故のアメリカ人の真の解決策」は2つあるという意味です。次にこれを再掲します。

1 日本を愛すれば「海水は沸騰すれば塩を析出する」という「真理」に気づき日本を助ける「正義」を実践する。→ 心の営み

2 「海水は沸騰すれば塩を析出する」という「真理」に基づき「真水で冷却する」という「原理」を考案し「核爆発防止という「価値」を実現する。→ 思考力

具体的には、「核爆発防止」という「価値」を実現するため「真水で冷却する」という「原理」を実行するため「第7艦隊の戦艦が沖縄から真水を運び、東京消防庁の消防車が放水する」という「手順」を実行する。
→ 思考力

ご覧頂ける通り、福島原発事故の1番目の解決策は「心の営み」によるもの、そしてそれは「思考力」につながっていると考えています。

日本が「世界の研究所」に進歩するためには「思考力」は不可欠ですが、それは単に頭を使えば良いというものではないという事です。「心」とつながったものでなければなりません。そして正にアメリカ人はそのようにして解決策を導いています。これは「勘所」です。そのため是非ご理解頂き腹に落として頂ければと思います。


では次に「まとめ」を説明します。


1.5 まとめ

本章では「愛と→真理→正義」の「精神力」は「偉人の英知」から導かれている事、またそれぞれの実践知識を説明しました。「心の営み」は大変デリケートで古来、宗教や哲学が研究、考察してきましたが、偉人の英知から導かれた「人間の5元徳」の「妥当性と有用性」を十分ご理解頂けたと思います。同様に「偉人の英知」から導かれている「心の整理法」と「心による知識化」の「妥当性と有用性」も十分ご理解頂けたと思います。

では次に「5元徳の活用」を説明します。

2 5元徳の活用

では「日常活動」の解決策の「真理→原理→手順」の「5元徳の活用」を説明します。但し、多くの皆様は「真理→原理→手順,何これ?」と感じると思います。「日常活動」って「朝起きて顔洗ってご飯食べて会社に行って仕事してるんだけど、真理→原理→手順って全然関係ないんだけど」と感じると思います。

これは良く分かります。確かに「現実」を「見る」とその通りです。しかし、「本質」を「観る」と「日常活動」は「真理→原理→手順」の「5元徳の活用」である事をご理解頂けます。これを表現する言葉が「原理的にダメなものはダメ」です。つまり「原理」に基いて行動する事が解決策である事を示しています。

さて、ここで是非ご理解頂きたいのは、実は2000年前から「偉人」は「原理に基いて日常活動を営む事」を教えています。しかし、日本人でこれを原理と理解している方は私以外にどなたもいません。更に言えば、「日本国憲法」は「日常活動の原理」を定めているのですが、これも理解しているのも私以外にどなたもいませんす。

この根本原因を突き詰めると日本人は「原理とは何か」を理解していないと考えています。そのため最初に「原理とは何か」を説明し、次に「日常活動」の解決策の「真理→原理→手順」の「5元徳の活用」は「偉人の英知」から導かれた事を説明し、併せて日本国憲法の原理を説明し、これを踏まえて「実践知識」を説明します。

では「5元徳の活用の根拠」を説明します。


2.1 5元徳の活用の根拠

では「5元徳の活用の根拠」を説明します。但し、先に説明したように、これを理解するには「原理的にダメなものはダメ」の「原理とは何か」を理解する事が前提です。そのため最初に「原理とは何か」を説明し、次に「5元徳の活用の根拠」を説明します。

尚、補足すれば「原理的にダメなものはダメ」の通り、感覚としては「原理とは何か」を理解しています。しかし、厳密には理解していないという事です。そのため厳密に「原理とは何か」を説明するとご理解頂ければと思います。但し、身近な例から説明します。そのため容易にご理解頂けます。

では「原理とは何か」を2つの例から説明します。1つは「病気の治療の原理」、もう1つは「富士山登山の原理」です。最初に「病気の治療の原理」を説明します。これを次に示します。

病気の治療の原理

ご覧頂ける通り、「糖尿病」の場合、「現在の患者の血糖値はこうです」と「病気の問題の状態」を説明し、次に「健康な人間の血糖値はこうです」と「病気の解決された状態」を説明し、最後に「血糖値を下げる薬」を処方します。

これから「病気の治療の原理」は「病気の問題の状態から病気の解決された状態に遷移させる仕組み」をご理解頂けると思います。そのため「原理」は「問題の状態から病気の解決された状態に遷移させる仕組み」をご理解頂けると思います。

では次に「富士山登山の原理」を説明します。但し、「富士山登山の原理、そんなのあるの」と疑問を持たれる方も多いと思います。しかし、あります。次に富士山登山の原理を示します。


ご覧頂ける通り、「富士山登山の原理」は「1合目→・・10合目」です。これが「富士山登山の原理」です。つまり「出発点という問題の状態から山頂という解決された状態に遷移させる仕組」が「1合目→・・10合目」という「原理」です。このような説明は「初めて聞く」と感じると思いますが、そのように説明されれば容易にご理解頂けると思います

次に「1合目→・・10合目」は何に基づくのかと言えば、「一日で登れる量」という「真理」です。つまり「富士山登山」の「原理」は「一日で登れる量」という「真理」に基づきます。これはトップページの福島原発事故で説明した「創造の思考力」の「真理→原理→価値」と同じです。これから「原理」は「真理」から導かれる事を改めてご理解頂けると思います。

次にこの図のポイントは「実際の富士山の図」つまり「構造を示す図」と一緒に表示されている事です。これは「エンジン」や「モーター」や「発電機」などの「原理図」と同じです。これらの「原理」も「構造」つまり「物の動きを示す動作図」により表現されます。

但し、「原理」のポイントは「1合目→・・10合目」の通り、「状態の遷移」です。但し、これは「エンジン」や「モーター」や「発電機」などの「原理」と大きく異なると感じると思います。しかし、これらの本質も前記の「問題の状態から解決された状態に遷移させる仕組み」です。この事は今までの説明から十分ご理解頂けると思います。

では以上を踏まえて「真理→原理→手順」の「5元徳の活用」は「偉人の英知」から導かれた事を説明します。最初の釈迦の「真理→原理→手順」を次に示します。

人間の真理    老いと病と死
原理       
慈悲
「問題の状態=老いと病と死は悲しい状態 → 解決された状態=悲しみが慈しみられた状態」

手順 
施し
真理→原理→手順 
老いと病と死→慈悲→施し

ご覧頂ける通り、「人間の真理」が「老いと病と死」であり、これから生まれた「原理」が「慈悲」です。つまり「問題の状態=老いと病と死は悲しい状態」から「解決された状態=悲しみが慈しみられた状態」に遷移させるのが「慈悲」です。この「慈悲」という「原理」を実行する「手順」が「施し」です。そのため「真理→原理→手順」は「老いと病と死→慈悲→施し」となります。

次にもう1つ、孔子の「真理→原理→手順」も次に示します。


人間の間の真理  

原理       

「問題の状態=仁(=思いやり)を持って接しない状態→解決された状態==思いやり)を持って接する状態」

手順       
忠/孝
真理→原理→手順 
仁→礼→忠/孝

ご覧頂ける通り、「人間の間の真理」が「仁」であり、これから生まれた「原理」が「礼」です。つまり「問題の状態=思いやり(仁)を持って接しない状態」から「解決された状態=思いやり(仁)を持って接する状態」へ遷移させるのが「礼」です。この「礼」という「原理」を実行する「手順」が「忠/孝」です。そのため「真理→原理→手順」は「仁→礼→忠/孝」となります。

このように「偉人」は「日常活動」の「真理/原理/手順」を導いています。この事は十分ご理解頂けると思います。但し、このような理解、認識は全くありません。とりわけ「慈悲」と「礼」を「原理」と理解している方はどなたもいないと思います。

では何故そうなのかと言えば、トップページの「日本の悪しき弊害」で説明したように、「真理と原理」を軽視するためです。これが「偉人の英知」の「真理/原理」を全く理解しない根本原因と考えています。

更に言えば、「難しい事は分からなくて良い」という「悪しき弊害」です。何故そのような悪しき弊害が醸成されたのかは「日本人と欧米人の精神風土」で説明しますので十分ご理解頂ければと思います。

更に日常活動の原理の例も説明します。これは「助け合い・話し合い・譲り合い」です、これらも「原理」です。この事は「合い」つまり「協力」からご理解頂けると思います。これらはすべて「協力されていない」という「問題の状態」から「協力された」という「解決された状態」への「状態遷移」です。

つまり「一方的」な「助け・話し・譲り」は適切ではありません。「互い」に「助ける事・話す事・譲る事」が必要です。すなわち「一方的」という「問題の状態」から「互いに」という「解決された状態に遷移させる仕組み」が「助け合い・話し合い・譲り合い」という「原理」です。これから「助け合い・譲り合い・話し合い」は「原理」である事をご理解頂けると思います。

尚、ここで1点補足します。ここまでの説明から皆様はこれはどのようなものに基づくのかと疑問を持たれる方も少なくないと思います。これはトップページで「サービス科学」具体的には「思考科学」に基づいて私がこれらの原理を考察したものです。「サービス科学」と「思考科学」は「IT力とAI力」で説明します。ここでは明確な学問に基いてこれらは導かれてるとご理解頂ければと思います。

さて「日常活動」は「慈悲・礼」や「助け合い・話し合い・譲り合い」の通り、「原理」に基づく事が「近代国家」ですが、率直に言って、このような理解、認識は過去2000年間、まったく存在しませんでした。

この理由は明らかです。そもそも日常活動は誰でも毎日行う事であり、そこに真理、法則性を見出すと言う発想がまったくなかったからです。但し、近代国家においては「その兆し」があります。次にこの事を2つ目として説明します。

これが「真理→原理→テクノロジ・法律・予算・政府・社会」の「近代化の精神」です。この「意味」は「テクノロジ・法律・予算・政府・社会」は「真理」に基づく「原理」から生まれるという意味です。

具体的に言えば、「ワット」は、当時勃興してきた「熱力学」の最新知識から、「潜熱」という「真理」により「シリンダー」に「復水器」を加えた「新たな原理」を発明し、「蒸気機関」という「新たなテクノロジ」を創造しました。これから「真理→原理→テクノロジ」をご理解頂けると思います。

次に「アメリカ独立宣言」は「人間は平等」という「真理」から「人民にとって彼らの安全と幸福をいちばん実現すると思われる原理」という「政府の原理」を導き、「アメリカ政府」を樹立しました。そのため「真理→原理→政府」です。

また「真理」と「原理」から「アメリカ独立宣言」つまり「法律」は生まれています。そのため「真理→原理→法律」です。

更に、「アメリカ政府の予算」は拙著で説明するように「4つの予算書」から構成されますが、その1つに「歴史的表」があり、これを「真理」として活用し、社会の問題を解決する「予算の原理」を導き、アメリカ政府の「予算」を立案します。そのため「真理→原理→予算」です。

更に言えば、「近代学問」は「真理→原理→近代学問」の通り、「真理」と「原理」から生まれました。そのため「テクノロジ・法律・予算・政府」つまり「近代国家や社会」また「近代学問」は「真理」に基づく「原理」から生まれています。

ここでご理解頂きたい事は、これは「欧米」とりわけ「アメリカ」では「常識」ですが、日本ではこのような理解、認識はまったくありません。そのため十分ご理解頂ければと思います。

さてこれに関連して説明したいものがあります。それはアメリカの市民教育です。次にアメリカの市民教育を示します。


ご覧頂ける通り、アメリカでは「幼稚園・小学・中学・高校」と一貫した市民教育を行っています。これは「市民の要件」を教えています。では「市民の要件」とは何かと言えば、「真理と原理の重要性」を理解する事です。

これを示すのが「この最後の結論となる授業で、アメリカ政府の幾つかの基本原理や考えを現在の問題に関連付ける機会を得る事になります」と「もし理論の真理が人々の心、考えに存在せず、賛同されていなければ、その有用性とは何だろう?」です。

つまり「真理と原理の重要性」を教えています。この一例が正に前述の「近代化の精神」とご理解頂ければと思います。そして、ここまでの説明を一言で言えば、正に「真理と原理の重要性」です。これは正に「市民の要件」とご理解頂ければと思います。

では「真理と原理の重要性」を「市民の要件」として理解する利点は何でしょう。それは「アメリカ」には「ビル・ゲイツのような大金持ち」や「ノーベル賞の受賞者」が「非常に多い事」です。これは正に「真理と原理の重要性」を「市民の要件」として教える「市民教育」にあると考えています。

さてここで「皆様に特と考えて頂きたい」のは、既に説明したようにアメリカは「日本の教育基本法」や「日本国憲法」を定めましたが、それを市民教育として実行している事です。つまり「真理と原理の重要性」を教えています。

しかし、率直に言って、日本は全く「無視」してきました。これには「憲法を外国の国に定められるのは恥だ、ましてや、教育基本法を定められるのは到底受け入れられない」という「反発」があると思います。これは感情的には良く分ります。

しかし、それは表面的な見方です。そうではありません。アメリカは「西洋と自国の発展のエッセンス」をすべて「日本国憲法」と「教育基本法」に凝縮しています。つまり「アメリカ発展の全ての知識と知見」を惜しみもなく明かしているのです。

では何故か? それはアメリカ人は「日本人は大変優れた人間」と尊敬しているからです。私は「IBMというアメリカ」に37年間滞在しましたが、如何にアメリカ人が日本人を尊敬しているか、誰よりも理解しています。

アメリカ人が「日本は日出づる国」、「Japan is a sun rising country」と言う時、「とても敵わない」または「羨ましい限りだ」という表情をします。

この理由は、太陽の昇る壮大なエネルギー、そのエネルギーを背に、後光が指すように光り輝く、煌くような国というイメージを彷彿させるためです。そのため「何でも世界一」と自慢したがるアメリカ人ですが、かつての「隋」がそうであったように「Japan is a sun rising country」という時は、「とても敵わない」という表情をします。

言うまでもなく、人工衛星から見て初めて気がつく「日本は日出づる国」それに対して「隋(中国)は日没する国」という知見を得た「聖徳太子」は、欧米人が「人類史上最高の頭脳」と崇拝する「レオナルド・ダ・ビンチ」を凌ぐ「人類史上最も聡明な方」と認識しています。このような理解、認識は全く日本にはありませんが、十分ご理解頂ければと思います。

最後にもう1つご理解頂きたいポイントは「アメリカ」では「小学3-4年生にアメリカの憲法」を教えている事です。つまり「小学3-4年生」に「憲法の前文にはどのような基本的考えがあるか」の通り、「アメリカの憲法」を教えています。

しかし、日本では憲法は国の最高法規であり、憲法学者が取り扱うものという風潮がありますが、これは根本的に誤りです。この根本原因はで説明するように「難しい事は分からなくて良い」という悪しき弊害があるためです。そのような悪しき弊害に陥るのではなく誰もが理解、議論するのが健全社会です。この事は説明するまでもありません。

但し、「真理や原理が重要」更には「近代化の精神」と説明されても「ピン」と来ないと思います。そのためアメリカの市民教育から「真理や原理が重要」更には「近代化の精神」を十分ご理解頂ければと思います。

では次に「5元徳の活用の実践知識」を説明します。

2.2 5元徳の活用の実践知識

では「5元徳の活用の実践知識」を説明します。これは「一般活動の実践知識」と「職業活動の実践知識」と2つあります。次にこれを次に示します。

考えて行動の実践知識

正論と現実論の実践知識

やり遂げる(一身独立)の実践知識

互助の実践知識

「メモ(心による知識化)の実践知識」

振り返り(悪人正機)の実践知識

お分かり頂ける通り、「一般活動の実践知識」は「偉人の英知」などの実践知識です。また「職業活動の実践知識」は「仕事や勉強などの実践知識」です。次に職業活動の実践知識は「予習→対応→専念→振り返り」という順番で「前夜→翌日→翌日の夜」という時間の進行に合わせて実践する事を「問題の状態」から「互いに」という「解決された状態に遷移させる仕組み」想定しています。また「メモと察知」はその合間に実践する事を想定しています。

では「考えて行動の実践知識」を説明します。

2.2.1 考えて行動の実践知識

では「考えて行動の実践知識」から説明します。さてトップページで説明したように「日本の悪しき弊害」が「思い重視」であり「手順重視」です。そのため「あ、これは良い」という「思い」で即、実行、つまり「手順」を実行します。つまり「思いで行動」となります。これを「考えて行動」に転換する事が必要です。

では「考えて行動」をどのようにやればいいのでしょう。これは「原理的にダメなものはダメ」の通り、「原理」を考える事です。そして既に説明した様に「釈迦」などの偉人は「原理」を明確に教えています。これが「釈迦の慈悲」あり、「親鸞の善人も悪人も愛する事」であり、「孔子の例」であり、「ギリシャ哲学のHuman Being」です。

そして既に説明した「助け合い・譲り合い・話し合い」です。これらも「原理=問題の状態から解決された状態に遷移させる仕組み」です。つまり「一方的」という「問題の状態」から「互いに」という「解決された状態に遷移させる仕組み」が「助け合い・話し合い・譲り合い」という「原理」です。

これを分かり易く言えば、「仕事の段取り」をつける事です。または「仕事の大筋の流れ」を把握する事です。これを実行の前にやる事が「考えて行動」です。そのため「考える」からと言って、難しいものではありません。

是非「あ、いいな。即、実行」という「思いで行動」ではなく、「仕事の段取り」をつけてから、「仕事の大筋の流れ」を把握するという「考えて行動」に転換しましょう。

では次に「正論と現実論の実践知識」を説明します。


2.2.2 正論と現実論の実践知識

では「正論と現実論の実践知識」を説明します。このポイントは「現場は生き物」である事です。つまり当日になって状況が変わる事があります。例えば、スタッフが遅れて来る、雨が降るなど様々な事が起きます。これに適切に対応する事が必要です。

ではどのように対応するのでしょう。この時、重要なのが「正論と現実論」を使い分ける事です。つまり「状況」が変わったにも関わらず、「正論」を押し通そうとしない事です。そうではなく「今、何ができるか」という「現実論」を考える事が重要です。

但し、ここで重要なのが「原理」は余程の事がない限り、変更しない事です。そうではなく「手順」を変更する事です。この理由は「原理」つまり「仕事の段取り」を変更すると、全てを一からやり直すという事になるからです。これは時間的に不可能です。または、間に合っても「成果物の品質」が低下します。

そのため「手順」を変更する「現実論」が重要です。具体的に言えば、人のやりくりを付ける事や応援を頼む事や、機材や部材を他部門の代用品で置き換える事や、温度や湿度に影響される場合は、仕上がり状態を変更するなど、様々な「手順」や「条件」を変更する事です。

お分かり頂ける通り、「現場対応能力」というものが非常に重要です。このポイントは「人との交渉」や「他部門との話し合い」や「品質管理」など「マネジメント能力」が必要になる事です。

これを「他人事」と見るか、「自分の仕事」と捉えるかで、その人の招来が決まります。そのため「正論と現実論」を使い分ける「現場対応能力」を是非習得しましょう。

では次に「やり遂げる(一身独立)の実践知識」を説明します。


2.2.3 やり遂げる(一身独立)の実践知識

では「やり遂げる(一身独立)の実践知識」を説明します。さて、何事もやり遂げる事が大事です。これにより「一身独立」できるようになります。つまり「一人前」になる事ができます。そして、最も重要な「自信」を持てるようになります。

その結果、「プロ」または「リーダー」として成長する第一歩を踏み出す事ができます。つまり「一人前になる事」は「ゴール」ではなく、そこから成長進歩していく事が重要です。これが「一身独立」の本当の意味です。

福沢諭吉も「学問のすすめ」で「小さな幸福」に浸るのではなく「大きな幸福」の高みに成長進歩する事を説いています。但し、往々にして「石高主義」のため「一人前になった」という「石高」を達成した後は、大学合格後に遊んでしまう学生のように、頑張らなくなります。

そのため「一人前になった」という「小さな幸福」に浸るのではなく「プロ」または「リーダー」という「大きな幸福」を実現するように日々精進しましょう。


では次に「互助の実践知識」を説明します。


2.2.4 互助の実践知識

では「互助の実践知識」を説明します。「助け合い・話し合い・譲り合い」の「互助の実践知識」は十分ご理解頂けると思います。これは人々/社会の営みを円滑にする潤滑剤です。この事は十分ご理解頂けると思います。但し、実際はそのようにされてないのが現実です。つまりこちらが譲っても相手は譲ってくれない、ではどうすればいいのでしょう。

解答は「1.2.4 節制の実践知識」で説明した「叱正」です。叱って正す事です。これは既に説明した通りです。ここで是非ご理解頂きたい事は二宮金次郎も「叱正」したという事です。
これは人前では良く働いても人がいなくなると働かなくなる男を皆の前で叱正した事です。
何故叱正したのか? それは「小さな悪人」も許さないという事です。良く日本では「清濁併せ飲む」や「水清ければ魚棲まず」と言われますが、そうではありません。「小さな悪人」も許さない事が重要です。

この代表例が「互助の実践知識」の「助け合い・話し合い・譲り合い」です。これが一方的になるのは正しくありません。叱正する事が大事です。但し、「叱正」は現実問題としてなかなかできるものではありません。しかし、「心にはもやもや」があります。

では、どうすればいいのでしょう。それは「1.3 心の整理法」で説明したように「心」の徒然なるままに書いてみる事です。最初は「不満」を書きます。しかし、段々「心」が落ち着いてきます。そして、事態を理解できるようになります。

「そのような悪人が社会にはいる」と冷静に判断できるようになります。そして、ここが「勘所」ですが、そのように「心が理解できる」と「心」が整理されます。つまり「心」が落ち着きます。その結果、「不満、もやもや」も解消している事です。

お分かり頂ける通り、「心」を「落ち着かせる事」がなによりも大事です。これは「私の言い方」ですが、「不満、いらいら」が「心」にあるという事は「その人が私の心に入ってきてる」という事です。つまり「私の心」が、その人に影響を受けているという事です。

これは断じて許す事ができません。そのため「私の心」から「その人を排除する」という事です。但し、その人を「悪く思ったり、ダメな奴」と貶さない事です。それは自分もその人と同じ「悪人」になってしまうからです。そうではなく「事実」として正確に理解し、「心」を落ち着かせる、影響を受けない状態にするというのが大事です。

では次に「メモ(心による知識化)の実践知識」を説明します。


2.2.5 メモ(心による知識化)の実践知識

では次に「メモ(心による知識化)の実践知識」」を説明します。このポイントは「心」が思った「アイデアや疑問」は「心の声」であり「本質」を突く非常に重要、貴重なものであるという事です。つまり「心」が思った「アイデアや疑問」が「1.4 心による知識化」です。

しかし、それが次に浮かぶかどうかは、未知であり、殆どは浮かんで来ないものです。そのため気がついたら「直ぐメモする事」が必要です。これは仕事中も同じです。。そのため仕事を休めてもメモする事が必要です。それだけの価値は十分あるものです。これはメモを72年間やってきた私の実感です。

尚、最近のテレビでレオナルド・ダ・ヴィンチも終生メモしている事を放送していました。正に「日々のメモ」つまり「心による知識化」が「万能の天才のレオナルド・ダ・ヴィンチ」を生み出したと言っても、過言ではないと考えています。

逆に言えば、「メモ」つまり「心による知識化」を行わない方は、「惰眠」を貪る事であり、NHKのチコチャンではありませんが、「ボーと、生きてんじゃねーよ」という事になると思います。

「良く頭を使え」と言います。その第一歩が「メモ」つまり「心による知識化」を行う事です。そのため日々浮かんだアイデア/疑問をメモしましょう。

では次に「振り返り(悪人正機)の実践知識」を説明します。


2.2.6 振り返り(悪人正機)の実践知識

では次に「振り返り(悪人正機)の実践知識」を説明します。言うまでもなく、「振り返り」は重要です。成長進歩する糧が「振り返り」です。但し、「仕事の事」や「上司や同僚の事」また「一日の出来事」を振り返っても、「自分の事」を振り返る方は少ないのではないと思います。一瞬、頭をよぎっても「まーいいさ」とスルーしているのではないかと思います。

しかし、「自分の事」を振り返るのが正に「悪人正機」です。誰の心にも「内なる悪人」はいます。それに気がつき真正面から向き合う事が必要です。そして、「善人」に転換していく事が正に成長、進歩につながります。この事は明らかです。

では、なぜ「自分の事」を振り返らないのでしょう。これはご理解頂けると思います。それは「辛い事」だからです。やはり、自分の欠点を曝け出すのは辛いものです。そのため「大事にはならなかったので、まーいいさ」とスルーします。

しかし、ヒヤリハットではありませんが、いつか「大事」となって、顕在化します。大きな問題は突如、大きな問題として起こるのではありません。小さな問題が重なり、繋がって大きな問題となります。そのため「悪人正機」は日々必要です。

但し、辛い事をどうしたら上手くできるでしょう。これは「2.2.4 互助の実践知識」で説明したように「心」の徒然なるままに書いてみる事です。なぜ、そうしてしまったのか、それはどのような理由なのか、それを抑える事ができなかった理由は何か、すべて書き出して見る事です。

そうすうると、「あー、こういう事か」と納得できるものがります。そうすると「心」は落ち着いてきます。そして、次のそのような事が起きそうだと感じた時は、「心」が抑えてくれます。何故かと、言えば、心は知ってるからです。そのため事前に予防してくれます。これは私が72年間やってきた事です。そして、成長、進歩できた理由です。皆様もそうされる事を心から願っています。


では最後に「まとめ」を説明します。

2.3 まとめ

では「まとめ」を説明します。「日常活動」の解決策の「5元徳の活用」を説明しました。これは「善の5元徳」や「心の整理法」や「心による知識化」から導かれたものです。そのため十分ご理解頂けたと思います。

では次に「日本人と欧米人の精神風土」を説明します。

3 日本人と欧米人の精神風土

では「日本人と欧米人の精神風土」を説明します。トップページで説明したように「日本人の精神風土」から生まれた「悪しき弊害」は大きな影響を与えています。これらは全ては自然環境が醸成したと考えています。そのため十分転換できると考えています。これを日本人と欧米人の精神風土を比較する形で説明します。これを次の表に基づいて説明します。

日本と欧米の比較
項目 日本  欧米
社会の営み  思いに共感する社会 考えを共有する社会
行動パターンの悪しき弊害  思いで行動
・石高優先の思いで行動(師走)
・我田引水の思いで行動(小金持ち)
 考えて盲点を突く
・GAFAの主張:恒久的施設のない国には税
 金を払わない 
知的活動の思考パターン   規則と手順(例 鶴亀算)
・規則と亀の入れ替えという手順で解く
 
価値と原理と手順の統論(例 連立方程式)
・原理や数という抽象化された概念で解く
 
思考パターンの悪しき弊害  思い重視の思考パターン
・忖度 / 組織に埋没
 考え重視の思考パターン
・分厚い契約書 / ミーイズム
 思考パターン  思う
・新米の石高を増やすために自然の動き
 を過去の経験則に基いて心を動かす
考える
・消費を明らかにする、特に浪費した自分
 をintrospection(内省)する 
 精神風土  石高主義 (売上高に努力)
・新米は古米よりも旨いため古米の蓄積よりも新米の石高に努力
・「手順重視」(小豆に面倒を見て丹精を込めて稲を育てる)
・抽象化が苦手(石高∝地味/天候/人力)
・郷の道理(組織の論理)に従う
・自然に依存(他力本願)
・どんぐりの背比べ/50歩100歩
・難しい事は分からなくて良い
・醸成された解決の思考力
 ・価値:豊作
 ・原理:頑張る
 ・手順:田で力を発揮する→男
 蓄積主義 (利益に努力)
・麦の新旧に依らず焼き立てのパンは旨いため麦の蓄積に努力
・「石高-消費=蓄積」という「真理/原理重視」

・抽象化が得意
・真理/原理に従う
・自然から独立(自力本願)
・才能を評価し天才を育む
・難しい事も解明する
・醸成された解決の思考力
 ・価値:富
 ・原理:塵も積もれば山となる
 ・手順:節約する→ Husband(夫)
 自然環境  豊かな自然
・実るほど頭を垂れる稲穂かな
 厳しい自然
・麦穂は実っても真っすぐ立ってる


ご覧頂ける通り、これはぎっしり詰まった大きな表ですが、要約すれば
「日本の豊かな自然」が「石高主義の精神風土」を日本人に醸成し、「ヨーロッパの厳しい自然」が「蓄積主義の精神風土」を欧米人に醸成したと考えています。この事は両者の「自然環境・精神風土・思考パターン・行動パターン」から容易にご理解頂けます。

そのため
「自然環境」→「精神風土」→「思考パターン」→「行動パターン」という順番で説明します。尚、この意味は「自然環境」が「精神風土」を醸成し、「精神風土」が「思考パターン」を醸成し、「思考パターン」が「行動パターン」を醸成するという意味です。またこの中で「精神風土・思考パターン・行動パターン」の「悪しき弊害」も説明します。十分ご理解頂ければと思います。

では次に「精神風土」から説明します。


3.1 精神風土

では「精神風土」から説明します。最初に「精神風土」を醸成する「自然環境」を日本とヨーロッパを比較する形で説明し、次に「精神風土」を説明します。

では「日本の自然環境」」から説明します。これは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の通り、「豊かな自然」です。それに対して「ヨーロッパ」は「麦穂は実っても真っすぐ立ってる」の通り、「厳しい自然」です。

尚、私の生家は農家でしたので「子供心」に「稲の束」は重いが、「麦の束」は非常に軽いと感じました。また「ヨーロッパの厳しい自然」は「緯度」からもご理解頂けると思います。「ヨーロッパの主要な国々」は北海道と同じ緯度にあります。 

お分かり頂ける通り、「日本」は「豊かな自然環境」であり、「ヨーロッパ」は「厳しい自然環境」です。この差はその後の数千年戦の営みの中で「日本人」と「欧米人」
に大きな影響を与えてきたと考えています。
 
この基
本が「精神風土」です。「日本の豊かな自然」が「石高主義」という「精神風土」を醸成し、また「ヨーロッパの厳しい自然」が「欧米人」に「蓄積主義」という「精神風土」を醸成したと考えています。 

ここで「石高主義」は「新米は古米よりも旨いため古米の蓄積よりも新米の石高に努力する」という意味です。それに対して「蓄積主義」は「麦の新旧に依らず焼き立てのパンは旨いため麦の蓄積に努力する」という意味です。

この事は一般的に「日本企業」は「売上高に努力する事」、それに対して「欧米企業」は「利益に努力する事」からご理解頂けると思います。また「日本の石高主義」に関して言えば、江戸時代まで「大名の規模」を「加賀百万石」の通り、「石高」で表現していた事からご理解頂けると思います

 
さて、ここで1点補足します。拙著で説明するように「日本の石高主義」と「欧米の蓄積主義」は私が「20才」の時に導いたものです。この動機は子供の頃の「なぜ日本は第二次世界大戦でアメリカに負けたのか」という素朴な疑問です。日本は何が弱かったのか、アメリカは何が強かったのか、そして負けた根本の原因は何かです。

そのため日本と欧米の歴史、文化、宗教、科学、政治、経済と学び、「20才」の時に導いた結論が「石高主義と蓄積主義」です。

ここでご理解頂きたい事はトップページで説明したように「日本の石高主義」と「欧米の蓄積主義」そして「両者」から醸成された「思考パターン」や「行動パターン」更に「悪しき弊害」は「私の37年間のIBM人生」から十分検証してきた事です。そのため「十分信頼できる」とご理解頂ければと思
います。この事は以降の説明から十分ご理解頂けると思いますが、あらかじめご理解頂ければと思います。

では次に「精神風土の特徴」を説明します。これを表から抜粋して次に再掲します。

■石高主義の特徴
・手順重視  :小豆に面倒を見て丹精を込めて稲を育てる
・抽象化が苦手:石高∝地味/天候/人力
・郷の道理  :組織の論理に従う
・自然に依存 :他力本願
・どんぐりの背比べ/50歩100歩
・難しい事は分からなくて良い

■蓄積主義の特徴
・「石高-消費=蓄積」という「真理/原理重視」
・抽象化が得意
・真理/原理に従う
・自然から独立(自力本願)
・才能を評価し天才を育む
・難しい事も解明する


最初に「石高主義」の「手順重視」から説明します。言うまでもなく、稲作では小豆に面倒を見て丹精を込めて稲を育てる事により「石高」を増やす事ができます。これが「日本人」に「小豆に面倒を見る」や「丹精を込めて稲を育てる」という「手順重視」の「精神風土」を醸成したと考えています。

それに対して「蓄積主義」では「石高-消費=蓄積」という「真理・原理」がなによりも重要です。これが「欧米人」に「真理・原理を重視する精神風土」
を醸成したと考えています。このような説明は「初めて聞く」と感じると思いますが、そのように説明されれば、容易にご理解頂けると思います。

次に
「石高主義」の「抽象化が苦手」と「蓄積主義」の「抽象化が得意」は理解し易い「後者」から説明します。

これは「石高-消費=蓄積」という「真理・原理」からご理解頂けると思います。つまり「蓄積主義」では「石高-消費=蓄積」という「真理・原理」という「本質」を抽出して生活を営む事が基本です。これが欧米人に「物事の本質を見抜く」つまり「抽出する、すなわち抽象化する能力」を醸成し、「抽象化」が得意になったと考えています。 

それに対して「石高主義」では「抽象化」は「無用の長物」であり「能書き」です。そうではなく「石高」を増やすには「具体的な行動、手順」が重要です。言うまでもなく、「田植え」は雨が降り、田に水がある時に速やかに行わなければなりません。また「水」に浸かった「新米」
は旨くありません。

そのため
「刈り取り」は台風で雨が降る前に迅速に行う事が必要です。また前述の通り、「石高」は「田の草」を取ったり、水が漏れないように「畦道の穴」を塞いだりと小豆に面倒を見る「具体的な動作」つまり「手順」が必須です。これが「石高主義」では物事の本質を見抜く「抽象化」よりも、すぐ役に立つ「手順」を重視してきたと考えています。

更にもう1つの根本的な要因は「石高∝地味・天候・人力」の通り、「石高を増やす要因」が正確には分からない事です。

つまり「石高」は「地味」や「天候」や「人力」に「∝」つまり「比例する事」は分かりますが、正確には、これらがどのように影響を与えるかは分からない事です。これが「難しい事は分からなく良い」その結果「物事の本質を抽出する抽象化能力」を
日本人に醸成しなかった最大の要因と考えています。

それに対
して「蓄積」は「石高-消費=蓄積」の通り、明確に分かります。これが「物事の本質を抽出する」つまり「難しい事も解明する抽象化能力」を欧米人に醸成したと考えています。

次に「石高主義」の「郷の道理(組織の論理)に従う」と「自然に依存(他力本願)」また「蓄積主義」の「真理/原理に従う」と「自然から独立(自力本願)」は一緒に説明します。

「石高主義」のポイントは「石高」は「郷」により「微妙に変わる事」です。これが「郷に入っては郷に従え」の「郷の道理(組織の論理)」に従う事であり、また「石高は自然の力」のため「他力本願」更に「大きな力」つまり「権力」に依存する「精神風土」を醸成したと考えています。

これを示すのが「正しい」の広辞苑の意味です。次にこれを示します。

➀まがっていない。よこしまでない。
➁よいとするものや決まりに合っている。


ご覧頂ける通り、「決まり」に「合っている事」を日本人は「正しい」と言います。これを分かり易く言えば、「先生」や「教科書」や「解答」に「合っている事」を「正しい」と言います。すなわち「先生や教授、更には権威そして権力者の決めた決まり」に「合っている事」を日本では「正しい」と言います。

これはアメリカ人と大きく異なります。アメリカ人は「1+2=3」を「正しい」とは言いません。「True」、「真実」と言います。言うまでもなく、「1+2=3」は「真実」であり、その結果「正しい」という事になります。

これから「日本人の大きな力」つまり「権力」に依存する「精神風土」をご理解頂けると思います。

それに対して
「蓄積」は「積み重ねという真理・原理に基づく」ため「真理・原理に従う事」また「蓄積は自己責任」のため「自力本願」更に「自律精神」を「欧米人」に醸成したと考えています。その結果、前述の通り、アメリカ人は「1+2=3」を「正しい」ではなく、一人一人が自ら判断して「True」、「真実」と言う精神風土を醸成したと考えています。

これらも「初めて聞く」と感じると思いますが、そのように説明されれば、容易にご理解頂けると思います。
 
次に「石高主義」の「どんぐりの背比べ/50歩100歩」また「蓄積主義」の「才能を評価し天才を育む」は「日本人の自分だけ儲ける小金持ち」と「ビル・ゲイツのような世界的な大金持ち」に直接関係します。

最初にご理解頂きたい事は「日本人」は「人間の能力は大体皆同じ」と考えている事です。これを示すのが前述の「どんぐりの背比べ/50歩100歩」です。これは「稲作」から生まれたと考えています。つまり「稲作」では面積当たりの収穫量はほぼ同一である事です。すなわち「石高は天の力」であり「人の力」
ではありません。

そのため人に
よって大きな差が出るものではありません。せいぜい1-2割です。これが「どんぐりの背比べ/50歩100歩」という「精神風土」を「日本人」に醸成し、そしてあまり目立たないような「自分だけ儲ける小金持ち」を生み出したと考えています。

それに対して「蓄積主義」は大きく異なります。毎年、2割を節約すれば、5年で「2倍」となり10年では「3倍」となります。これが「才能を評価し天才を育む」という「精神風土」を「欧米人」に醸成し、そして「ビル・ゲイツのような世界的な大金持ち」を生み出すと考えています。これも、そのように説明されれば、容易にご理解頂けると思います。

最後に「醸成された解決の思考力」はこれらを要約したものです。これを次に示します。

■石高主義
・価値:豊作
・原理:頑張る
・手順:田で力を発揮する→男

■蓄積主義
・価値:富
・原理:塵も積もれば山となる
・手順:節約する→ Husband (夫)


「石高主義」の「価値=豊作」、「原理=頑張る」、「手順=田で力を発揮する→男」は直感的にご理解頂けると思います。それに対して「蓄積主義」の「価値=富」、「原理=塵も積もれば山となる」、「手順:節約する→ Husband(夫)」は「流れ」
としてはご理解頂けると思います。

しかし、
「原理」の「塵も積もれば山となる」と「英語の夫」、「Husband」、「ハズバンド」の「動詞の意味」は理解し難いと思います。「原理」の「塵も積もれば山となる」は前述の「5年で2倍」、「10年で3倍」の通り、非常に重要です。そのため同様な格言は「ローマは一日にして成らず」や「アリとキリギリス」や「3匹の子豚」など欧米には沢山あります。

これから「塵も積もれば山となる」という「原理」は「蓄積主義の神髄」である事をご理解頂けると思います。では「塵も積もれば山となる」という「原理」を実践する「手順」は何でしょう。これが「英語の夫」、「Husband」の「動詞の意味」です。これは「節約する」です。つまり「イギリス」では「一家を支える夫の役割」は「節約する事」
です。

すなわち
「節約する」が「塵も積もれば山となる」という「原理」の「手順」です。これから「蓄積主義」の「価値=富→原理=塵も積もれば山となる→手順:節約する」は欧米ではしっかり根付いている事をご理解頂けると思います。 

それに対して「石高主義」の「価値=豊作→原理=頑張る→手順=田で力を発揮する」は必ずしも根付いている訳ではありません。この「最大の原因」は「豊作」は「天の力」であり「人の力」ではないためです。

つまり「価値」と「原理」の間に「断絶」があります。これが必ずしも根付いていない「最大の原因」であり、また「価値と原理と手順」を「三位一体」として捉える「統論」という考え方が浸透しなかった「最大の原因」と考えています。

更に言えば、なぜ「石高主義」では「価値=富」や「原理」の「塵も積もれば山となる」つまり「蓄積」という「考え方」が定着しなかったのかと言えば、「古米」は「美味しくない」ためです。

つまり「新米」を一年間「蓄積」した「古米」は「価値」
がないからです。そのため「新米を一年間蓄積する」よりも「今年の新米は沢山収穫する事に努力する」つまり「石高主義」になったと考えています。このような説明も「初めて聞く」と感じると思いますが、そのように説明されれば、容易にご理解頂けると思います。

以上から、「日本と欧米の精神風土と特徴」そして「日本の石高主義の特徴」は「悪しき弊害」である事を
ご理解頂けたと」思います。つまり「日本の悪しき」は「日本の豊かな自然環境」が醸成したものであり、日本人が生まれながらにしてそうではない事をご理解頂けたと思います。

では次に
「思考パターン」を説明します。

3.2 思考パターン

では「思考パターン」を説明します。最初に両者の一般的な思考パターンを説明し、次にどのように醸成されたのかを説明し、これを踏まえて「思考パターンの悪しき弊害」を説明し、最後に「知的活動の思考パターン」を説明します。

では両者の
「一般的な思考パターン」から説明します。これは「日本人」は「思う」、それに対して「欧米人」は「考える」と考えています。次に「思う」と「考える」の「広辞苑の意味」を示します。

思う :物事の条理・内容を分別するために心を動かす
考える:あれこれと思量し、ことを明らかにする

覧頂ける通り、「思う」のポイントは「心を動かす」であり、「考える」のポイントは先に「愛と真理と正義」で説明したように「ことを明らかにする」です。これから両者は似ているようで「大きく異なる事」をご理解頂けると思います。

ここで「日本人の思うという思考パターン」は「おもうの漢字」からもご理解頂けると思います。これは「思う」や「想う」や「憶う」など複数ありますが、「考える」は一字しかありません。これから「日本人の一般的な思考パターン」「思う」である事をご理解頂けると思います。

では「日本人の思う」という「思考パターン」はどのように醸成されたのかと言えば、「石高主義」から生まれたと考えています。

つまり「石高を増やすために、感性鋭く自然の動きを察知し、次に過去の経験則に基いて心を動かす事」が「物事の条理/内容を分別するために心を動かす」という「日本人の思うという思考パターン」を醸成
したと考えています。
 
それに対して
「蓄積主義」では「石高-消費=蓄積」の通り、「蓄積」を増やすために「石高や消費を明らかにする事」が「あれこれと思量し、ことを明らかにする」という「欧米人の考えるという思考パターン」を醸成したと考えています。これも、そのように説明されれば、容易にご理解頂けると思います。 

に「思考パターンの悪しき弊害」は「日本人」は「思い重視」、それに対して「欧米人」は「考え重視」と考えています。

「日本人の思い重視」の例を挙げれば、昨今流行った「忖度」であり、また「組織の論理」を忖度し「組織に埋没する事」です。これは容易にご理解頂けると思います。それに対して「欧米人の考え重視」は「分厚い契約書」であり「ミーイズム」つまり「自己中」である事です。

但し、「分厚い契約書」や「ミーイズム」は「シリアスな問題」を生み出していませんが、「忖度」や「組織に埋没」は「大きな問題」を生み出します。これは既にご承知の通りです。 

言うまでもなく、「思う」という思考パターンは「プラス」に作用すれば「思いやり」や「おもてなし」とな
り大変良いものです。しかし、「マイナス」に作用すると前述の通り、「忖度」や「組織に埋没する事」です。これが「日本の問題」です。この事は容易にご理解頂けると思います。

では次に「知的活動の思考パターン」を説明します。これは「日本人」は「規則と手順の思考パターン」、それに対して「欧米人」は「価値→原理→手順の思考パターン」と考えています。

「日本人」
「規則と手順の思考パターン」は前述の「石高を増やすために、感性鋭く自然の動きを察知し、次に過去の経験則に基いて心を動かす事」の「経験則」と「手順重視」からご理解頂けると思います。

これを「欧米人」
「価値→原理→手順の思考パターン」と比較すると、「2つの大きな差」があります。

1点目は「価値」がない事です。この理由は明らかです。「石高を増やす事」は当たり前だからです。但し、「どの位増やすか」は「石高は天の力」の通り、分かりません。そのため「豊作」を「祈願する」という事になります。

つまり先に説明したように「豊作」という「価値」と「頑張る」という「原理」の間に「断絶」が生じますが、それは「仕方のない事だ」という「思考パターン」です。

これを一般的に言えば、「日本人」は「明確なゴール、数値目標」
を掲げずに「心を1つ」にして「頑張りましょう」という「思考パターン」です。この事は容易にご理解頂けると思います。

2点目は日本人は「原理」を「規則」に置き換えてしまう事です。つまり「原理」を「原則」に置き換えてしまう事です。この例は「法律」です。拙著で説明するように「英語のPrincile(原理)」を「日本の法律」は「原則」と翻訳します。またこの例は以降でも説明します。

では、なぜそのような事になるのかと言えば、「原理の各状態遷移」を「原則」と誤解してしまう事です。つまり「原理の各状態遷移」の各状態の条件」を「原点となる規則」つまり「原則」として定めるという「思考パターン」です。

例えば、「富士山登山の原理の1合目」には「1合目を規定する条件」があります。この「条件」「規則、原則」として定めるという事です。但し、「原理」は「問題から解決への状態遷移の仕組み」の通り、「全体的なもの」つまり「全体を通して実現する仕組み」です。

しかし、「1合目を規定する条件」は「全体的なもの」ではなく「一部」であり、「全体を通して実現する仕組み」ではありません。更に言えば、「原則」は「規則」であり、「実現する仕組み」ではありません。

では、そもそも「稲作」で「実現する仕組みとは何か」と言えば、「石高は天の力」の通り「自然の力」であり「稲そのもの成長力」にあります。そのため「人間の力」は「それらを観測」し、「その状態」から「適切に対応するという事」に
なります。

これが「自然や稲の各状態」を「原則」として捉え、「適切な手順」により対応するいう「規則と手順」という「知的活動の思考パターン」を醸成したと考えています。このような説明は「初めて聞く」と感じると思いますが。そのように説明されれば容易にご理解頂けると思います。

では次に「行動パターン」を説明します。


3.3 行動パターン

では「行動パターン」を説明します。最初にご理解頂きたい事は「行動パターン」は「思考パターン」と「精神風土」から醸成される事です。そのため両者から説明します。

最初に「日本人の行動パターン」は「悟り」、それに対して「欧米人」は「施し」と考えています。 

「日本人の悟り」は自然の動きを鋭い感性により察知つまり「悟る事」から醸成されたと考えています。この事は「仏教」の「即身成仏」や「孔子」の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」からもご理解頂けると思います。

しかし、「悪しき弊害」は「師走」のように「思いで行動」となります。これは「石高優先の思いで行動」と「我田引水の思いで行動」と2つあります。

ここであらかじめ説明すれば、「石高優先の思いで行動」が「日本人の手順重視の石高優先の勉強法」の「石高優先」を生み出したと考えています。また「我田引水の思いで行動」が既に説明した「自分だけ儲ける小金持ち」を生み出したと考えています。この事は容易にご理解頂けると思います。
 
それに対して欧米人は、毎日の穀物の消費つまり家族への「施し」が重要で
す。これを無計画で消費すればたちまち蓄積は枯渇してしまいます。そのため「計画と実践」つまり「マネジメント」が大変得意です。それに対して「日本人」は「思いで行動」のため「マネジメント」は大変苦手です。この事は容易にご理解頂けると思います。

では最後に「社会の営み」
を説明します。

3.4 社会の営み

では「社会の営み」を説明します。これは直感的にご理解頂けると思います。日本は「思いに共感する社会」、それに対して欧米は「考えを共有する社会」と考えています。この事は皆様も容易にご理解頂けると思います。

以上、「日本人と欧米人の精神風土・思考パターン・行動パターン・社会の営み」を説明してきました。十分ご理解頂けたと思います。では最後に「まとめ」を説明します。

3.5 まとめ


では「まとめ」を説明します。これは既にご理解頂けると思います。両者の自然環境が
「精神風土/思考パターン/行動パターン/社会の営み」そして「悪しき弊害」を醸成したと考えています。


そのため「日本人は生まれながらにしてそうではない」という事です。そのため十分転換できると考えています。この事は容易にご理解頂けれると思います。

では次に「日本と欧米の近代化」を説明します。

4 日本と欧米の近代化

では「日本と欧米の近代化」を説明します。さて「精神風土」は大きな影響を及ぼしている事を前節からご理解頂けたと思います。これは「近代化」も同じです。「近代化」も大きな影響を及ぼしています。但し、多くの皆様は「日本は十分近代化されている」と感じていると思いますが、そうではありません。

近代化されているならば、日本も欧米、つまりアメリカのように「世界の研究所」として活躍しているハズです。しかし、トップページで説明したように日本は未だに「世界の工場」です。「世界の研究所」には進歩していません。

この理由は「精神風土の悪しき弊害」もありますが、「近代化の後れ」もあります。この事をご理解頂くために最初に「欧米の近代化」を説明し、次に「日本の近代化」を説明します。

では次に「欧米の近代化」を説明します。


4.1 欧米の近代化


では「欧米の近代化」を説明します。さて「欧米の近代化」と言った時、多くの方は「イギリスの18世紀の産業革命」を思い浮かべると思います。これはその通りです。イギリスにおける18世紀の産業革命が正に「近代化の始まり」です。

但し、それは結果と考えています。それを生み出したものがあると考えています。それが正に「真の欧米の近代化」と考えています。これを次に示します。


14-16世紀のルネッサンス  愛のあるヒューマンに再生
16世紀の地動説      真理に目覚める
17世紀の市民革命     正義を実践

ご覧頂ける通り、「14-16世紀のルネッサンス」→「16世紀の地動説」→「17世紀の市民革命」により「近代化」が生まれたと考えています。この意味は「愛のあるヒューマンに再生」→「真理に目覚める」→「市民革命」です。

つまり「愛→真理→正義」です。すなわち「人間の5元徳」です。これに「ヨーロッパの人々」が目覚めた事により「近代化」が生まれたと考えています。そのため以下、順番に説明します。

最初に「14-16世紀のルネッサンス」の「愛のあるヒューマンに再生」は「ルネッサンスの意味」を理解する事がポイントです。これは日本では「ギリシャ・ローマの文芸復興」と呼ばれていますが、「ルネッサンスの意味」は「再生」です。

さてここで重要なのが、「では、ヨーロッパの人々」は14-16世紀に「何から何」に再生したのかです。これが「欲望本能のまま、しかし、権力者には盲目的に従うマン」から「愛のあるヒューマン」に再生したと考えています。

すなわち「ギリシャ哲学」の「人間の定義」の「ヒューマン」に再生したと考えています。これが「ギリシャ・ローマの文芸復興」という意味です。

ここで「権力者には盲目的に従うマン」の「権力者」は「ローマ法王」です。当時の「ローマ法王の権力」は絶大なものがあり、これを示すのが「イギリス国家」の「God Save The Queen」、「神よ、女王を護り給え」です。これは当時の「ローマ法王の命による暗殺者」から「初代エリザベス女王」 を「護り給え」という意味です。


当時のキリスト教はヨーロッパ一の権力者であり、その傲慢さの象徴が「免償符」です。免罪符を買えば、「罪が許される」というとんでもない状況から、悔い改め、「ギリシャ哲学」の「人間の定義」の「ヒューマン」に再生したのが「14-16世紀のルネッサンス」です。

そのため「人間の5元徳」の通り、「ルネッサンス」により「愛」に目覚めた「ヨーロッパの人々」が「愛すれば、事を明かにし、真理を発見し、真理を教える正義を実践する」の通り、正にこれを実践したのが「16世紀の地動説」であり「17世紀の市民革命」です。

これが産業革命と近代化そして近代学問を生み出した「源」です。これは日本が「世界の研究所」に進歩する必須の知識です。そのため十分ご理解頂ければと思いまする

では次に「日本の近代化」を説明します。

4.2 日本の近代化

では「日本の近代化」を説明します。さてヨーロッパの近代化の歴史を理解すると、日本は非常に後れている事に気がつかれると思います。この一例を次にします。

欲望本能のマン  我田引水がまかり通る
権力者に従うマン 忖度がまかり通る
真実の軽視    合っている事を正しいという
正義の軽視
    正義を建前と本音に分離する

お分かり頂ける通り、赤字の部分は日本では常識ですが、正に「近代化の後れ」そのもです。そのため「人間の5元徳」は「近代化の後れ」と解決する事も目的としています。この事をご理解頂ければと思います。

さて「近代化の後れ」は「文明化の格差」でもあります。
では
「文明格差」とは何かと言えば、次の通り、考えています。

文明格差
  アメリカ  日本  ロシア  中国 
近代化の歴史  清教徒革命
1641年
 
明治維新
1868年
 
ロシア革命
1917年
 
辛亥革命
1911年
 
マッカーサーの発言  1951年  1951年  1951年  1951年 
近代化の歴史  310年
1951年
-1641年
83年
1951年
-1868年
34年
1951年
-1917年
40年
1951年
-1911年
アメリカ
=45才
 
310年
=45才
 
83年
=12才
 
34年
=5才
 
40年
=6才
 


ご覧頂ける通り、「マッカサー元帥の日本人は12才発言」の「1951年」を基準にすると、「アメリカ人は45才」、「日本人は12才」となります。これが「文明格差」と考えています。

ご存知の方もおられると思いますが、「マッカサー元帥の日本人は12才発言」は、マッカサー元帥が戦後、日本のGHQからアメリカに帰国し、アメリカ議会で発言したものです。

この意味は「アメリカ人を45才」とするならば、「日本人は12才」に相当するというものです。これは「日本人を大変馬鹿にした発言」であり、これが「戦後の日本人の対米意識の根底」にあると言っても過言ではないと考えています。

しかし、この発言は「日本人を馬鹿にしたもの」ではなく「日本とアメリカの近代化の歴史」を表現したものと考えています。この理由は「アメリカ人は根拠無しに発言する事はない」からです。この事は「37年間のIBM人生」から十分理解しています。

では根拠は何かと言えば、これが正に「上記の表」と考えています。具体的に言えば、「世界史」を思い出して頂くと、「近代化」は「世界最初の市民革命」の「1641年のイギリスの清教徒革命」から始まったと想定し、次にマッカーサー発言は「1951年」です。

そのため英米の近代化の歴史は「310年」となり、次に日本の市民革命は明治維新、そして明治政府の発足が1868年、そのため近代化の歴史は「83年」となり、これを「アメリカの310年=45才」と対比すれば、「日本は83x45/310=12.04」となり「12才」となります。

これが「マッカサー元帥の日本人は12才発言の根拠」と考えています。以下、同様に求めると「ロシアは5才」また「中国は6才」となります。但し、「ロシアは世界最大の国土」を有し、「中国は世界最大の人口」を有します。

しかし、「両国の近代化」は非常に遅れており、結論から言えば、かつての日本がそうであったように、これが「今回のロシアのウクライナ侵攻」そして「中国の台湾有事」という「世界の問題」を引き起こしていると考えています。

さて、「ロシアのウクライナ侵攻は2022年」です。これを前述の表に適用すれば、以下となります。

文明格差(2022年を基準)
  アメリカ  日本  ロシア  中国 
近代化の歴史  清教徒革命
1641年
 
明治維新
1868年
 
ロシア革命
1917年
 
辛亥革命
1911年
 
現在  2022年  2022年  2022年  2022年 
近代化の歴史  381年
2022年
-1641年
154年
2022年
-1868年
105年
2022年
-1917年
111年
2022年
-1911年
アメリカ
=45才
 
381年
=45才
 
154年
=18才
 
105年
=12才
 
111年
=13才
 


ご覧頂ける通り、「ロシア」は正にかつての戦争を起こした日本と同じく「12才」です。そして中国は「13才」です。そして言うまでもなく、「プーチン」も「習近平」もかつての日本の軍部と同じように独裁者です。

これをかつて同じ体験をした日本が「両国に改めるよう」にお願いするのが「18才」に成長した日本の役割りと考えています。「人間の5元徳」にはこの意味もある事をご理解頂ければと思います。そして「文明格差」を解決するのも「本ホームページの重要な役割」と考えています。


では次に「まとめ」を説明します。

4.3 まとめ

お分かり頂ける通り、「近代化の意味」を理解する事は非常に重要です。これは日本が「世界の研究所」に進歩するための必須の知識です。そして「人間の5元徳」には「近代化の後れ」を解決する目的もあります。これらの事を十分ご理解頂ければと思います。

では最後に「日本の良さ」を説明します。


5 日本の良さ

では「日本の良さ」を説明します。先に説明したように「日本の豊かな自然」は「悪しき弊害」を醸成しましたが、一方「日本の良さ」も生み出しています。これを理解し。発展させる事が日本が世界の研究所に進歩する事につながります。そのため最初に「日本の良さ」を説明し、次に「イギリスと比較」して説明します。

では次に「日本の良さ」を説明します。

5.1 日本の良さ

では「日本の良さ」を説明します。拙著『日本の問題を解く』
で説明するように私は「日本の良さ」は次の4つと考えています。

1 なさけ・人情
2 美意識
3 勤勉
4 進取の気性


最初に「なさけ・人情」は喜劇役者の藤山寛美が「情けは人の為ならず。巡り巡って我が身の為とわなー」と説明するように、日本は「なさけ・人情の国」です。これは説明するまでもありません。

次に「美意識」も説明するまでもありません。既に説明した芭蕉の俳句や奈良平安時代の和歌や短歌、更には葛飾北斎の「富岳百景」など日本人の美意識は大変優れたものがあります。

また日本人は大変勤勉です。朝早くから夜遅くまで良く働きます。私が現役の時に「猛烈社員」という言葉がありましたが、正に私もそのように猛烈に働きました。この事はIBMに37年間勤務していて非常に強く感じます。

最後に「進取の気性」は大変優れた日本人の特徴です。この例は明治にアジアで一番最初に近代化を行った事です。これは正に「日本人の進取の気性」を示すものです。そして、言うまでもなく、これらの「日本の良さ」は「日本の豊かで美しい自然」が醸成したと考えています。

さて、このように日本には大変素晴らしい「日本の良さ」がありますが、素朴な疑問は「なぜ、日本は世界の研究所に進歩できないのか」です。これには既に説明した「日本の悪しき弊害」や「近代化の後れ」もありますが、更に根底において大きな要因があると考えています。これはイギリスと比較すると、明らかにできます。

では次に「日本とイギリスの比較」を説明します。

5.2 日本とイギリスの比較


では「日本とイギリスの比較」を説明します。これを次の図から説明します。


ご覧頂ける通り、日本とイギリスは大変良く似ています。共にユーラシア大陸の端にある「島国」です。具体的に言えば、日本は「ユーラシア大陸」の「東の島国」それに対してイギリスは「ユーラシア大陸」の「西の島国」です。

次に「国民性」は共に「大陸の文化・文明を積極的に取り入れ」、「常に大陸よりも一歩先を行く進取の気性の国」であり「皇室、王室」を敬い、日本はアジの干物、イギリスはハムのように「朝からたんぱく質を摂取し勤勉に働く国民」です。

しかし、日本は大陸からの来襲は元寇の一度ですが、イギリスは「無敵艦隊の来襲(1588年)」、「 ナポレオンの来襲(1805年) 」、「ドイツの空襲(1940-1941年)」の通り、大陸から何度も来襲を受けています。

またイギリスは寒く「ワインの輸入国」であり、イギリス人は傘を携帯すると言われるように「厳しい自然環境」です。それに対して日本は豊かな自然であり「ジパング」と呼ばれた「黄金の国」です。

これらの自然環境と地政学的条件が日本に「石高主義」という「精神風土」そして花鳥風月を愛でる「思う」という「右脳を活用する思考パターン」を醸成し、逆にイギリスに「蓄積主義」という「精神風土」そして「なぜリンゴは木から落ちるか」と事を明らかにする「考える」という「左脳を活用する思考パターン」を醸成したと考えています。

つまり「豊かで美しい日本の自然」が「日本人に感性の右脳」を活用する思考パターンを醸成し、逆に「厳しい自然と地政学的条件」が「イギリス人に論理の左脳」を活用する思考パターンを醸成したと考えています。

しかし、十分日本人も「論理の左脳を活用し本質を見抜く方」が存在します。この例は昨今の多くのノーベル賞受賞者であり、そして江戸時代にニュートン(1643年)よりも早く微分積分を発明した「関孝和(1642年)であり、そして「日本は日出る国」つまり「世界で最初に太陽の昇る国」と気づいた「聖徳太子」です。

アメリカ人が「Japan is a sun rising country」と言う時は、本当に「素晴らしい」という表情で言います。この理由は、太陽の昇る壮大なエネルギー、そのエネルギーを背に後光が指すように光り輝く、煌くような国というイメージを、彷彿させるためです。

言うまでもなく、「世界広し」と言えども、「日出る国」と名乗る国はありません。そのため「感性の右脳」だけではなく「論理の左脳」を活用する思考パターンを実践しましょう。シンプルですが、これが最も重要と考えています。

では最後に「まとめ」を説明します。

5.3 まとめ

では「まとめ」を説明します。これは十分ご理解頂けると思います。日本の豊かで美しい自然が「日本人」に「感性の右脳を活用する思考パターン」を醸成してきたと考えています。そのため日本人は生まれながらにしてそうではありません。十分「論理の左脳」を活用できます。これは明らかです。

では最後に「結語」を説明します。

6 結語

では最後に「結語」を説明します。本ページは「人間の5元徳」と「5元徳の活用」を説明しました。またそれを妨げる要因として「精神風土」と「近代化」を説明しました。最後に「日本の良さ」を説明しました。十分ご理解頂けたと思います。そして感性の右脳と論理の左脳を活用する人間本来の姿に立ち返る重要性をご理解頂けたと思います。

7 皆様へのお願い

尚、トップページからではなく直接このページに来られた方にお願いがあります。本ホームページは一冊の本に相当します。そのため「確かに役に立った」と思われたならば、トップページで説明する私の口座に拙著と同じ金額をお振込み頂ければと思います。何卒、宜しくお願い申し上げます。

では次に「思考力」をお読み頂ければと思います。

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コラム11 真理と正義の重要性を理解した私の小学1年生の体験

最初に「真理の重要性」を理解した体験から説明します。このきっかけは小学校の教室にあった鉛筆削り器です。尚、小学1年生当時の私の得意なモノは2つありました。1つは手先が大変器用であった事、もう1つは計算がずば抜けて早かった事です。

計算の早い事は意識しませんでしたが、手先が器用である事は大変意識しました。この理由は、教室にある鉛筆削り器の削りカスが容器にいっぱいになりゴミ箱に捨て、入れ直す時に役に立つからです。他の生徒がやると上手く入れられないのですが、私がやると上手く入れる事ができました。これは小学1年生の私としては大変自慢できるものでした。先生に頼まれ喜んでやりました。

さて夏休みも終わり2学期となり、たまたま教室に朝一番早く行った時に、鉛筆削り器の削りカスがいっぱいになっている事に気がつきました。人がいない時に良い事をするのが一番良い事だと思い、いつものように削りカスをゴミ箱に捨て、空の容器を入れようとしました。

しかし、上手く入りません。いつものテクニックが通用しないのです。これはおかしい、何かあると思い鉛筆削り器を良く見ると外観は同じでしたが、新しい鉛筆削り器に替わっていました。そのため今までのテクニックが通用しない事を知り、色々やってみてなんとか入れる事ができました。

この時に「あーこういうテクニックを覚えてもダメだ」と心底思いました。同時に今までのテクニックが通用しない事を知った時の何とも言えない無力感、絶望感を味わいました。これは小学1年生にとって本当に大きなショックでした。まさに全人格を否定されたようで、それこそ死ぬほどの思いでした。

そのため「このようなテクニックを覚えてもダメだ、永遠に変わらないものを覚えなくては」と思いました。これが「真理」を大事にしなければと思った体験です。

次に「正義の重要性」を理解したのも小学1年生の時の体験です。これは国語の授業で先生から源平合戦の話を聞いた時です。源義経が一の谷で鹿が下りられるなら、馬も下りられるだろうと下って平家を負かした話を聞いた時です。

この時に瞬間的に「金儲けの方法」を覚えたと思いました。つまりタブーを破る、盲点を突く事です。これをすれば大儲けできると思いました。

しかし、同時にそれをやってはいけないと思いました。それは「正義」ではないからです。源義経は後ろから攻めました。これは色々理由があるにせよ「正義」ではありません。やはり正面から正々堂々と攻めて勝つべきです。それが「正義」だと思いました。そのためタブーを破り、盲点を突いて大儲けするような「不正義」は絶対してはいけないと思いました。

これが「正義」を理解した小学1年生の「原体験」です。そして現在までこの考えは変わっていません。しかし、大変残念な事は、このようにタブーを破り、盲点を突き金儲けしたり、成功する例が後を絶ちません。

しかも、本当に情けないのは、日本ではこのようなやり方を「賢いやり方」と思っている人間が沢山いる事です。しかし、フーテンの寅さんの「それを言っちゃうおしめえよ」ではありませんが「それをやっちゃーおしめえよ」です。この事を小学1年生の時に理解しました。

コラム12 私の心の拠り所


これは小学5年生の時のある体験に基づいています。最初に経緯を説明すると、私は小学校に入る前に人生のほぼすべての苦労を味わったと思っています。

「毎日、なぜあの時あのように人を傷つける言葉を言ってしまったのか、なぜあのような悪い事をしてしまったのか」と幼心に毎日が地獄でした。「それは大袈裟だろう」と感じるかもしれませんが、本当の話です。そのため小学5年生になるとピークに達しました。

毎晩同じ夢を見ます。夢は私が背中に石を背負い山の上り坂を重いよ、重いよーと泣きながら登っています。そのため寝るのがイヤになりました。これが本当にピークに達した時、夢に長姉が現れました。そして「三郎、お前はネコ背だから、石がお前の背中にくるんだ。ちゃんと胸を張れ、そうすれば石は来ない」と言いました。

そのため胸を張りました。すると石は背中からポロリと落ち、上り坂はみるみる間に平らな道になり、太陽が差し、道の周りは綺麗な花が咲き、空にはひばりが飛んでいました。

これを夢で見ました。以来、人間は胸を張る事、つまり「健全な精神」を持つ事がなによりも大事と思うようになりました。その後、高専1年生で親鸞聖人の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」を知り、私の苦しみは救われました。

なによりも救われたのは「悪人も善人も等しく愛する心」です。「愛」が人間の苦しみを救ってくれます。「愛」が「人間の本質」です。これに気づいたのが小学5年生の体験です。そして、それが正しい事を教えてくれたのが高専1年生の体験です。

コラム13 高橋美知太郎元京都大学教授の1972年の日本医学総会の講演

最初に高橋美知太郎元京都大学教授について、私の個人的な話から説明します。多分、ご存じの読者の方もおられるかも知れませんが、1970年代に高橋元京大教授はある雑誌に毎回巻頭言を1ページ連載していました。

これは大変見識のある内容であり、大変優れた方と尊敬していました。それから20年後の40代になり、IBMが大きく傾き、今で言うリストラのようなものが社内で起きた時に「人間としてどのようにあるべきか」と悩んでいた時に、しっかりした本を読もうと市民図書館に行き「人間であること」という本を見つけました。

「人間であること」というタイトルは、まさに私が求めていたタイトルそのものでした。そのためこのようなタイトルの本を書くとはなかなかの人物ではないかと思い、著者を見て大変嬉しくなりました。高橋美知太郎京都大学教授だったからです。

そのためこれは信頼できると思って読みました。尚、この本は高橋氏の短編集で「人間であること」は、その中の1つで、ページ数で言えば、全体の1割ほどでした。しかし、これがこの本のタイトルになっているように大変優れた内容でした。

最初に1972年の日本医学総会での講演内容と記されています。言うまでもなく、日本医学総会で講演するという事は大変な名誉であり、且つ高い見識が求められます。恐らく、高橋氏も哲学者として全身全霊を傾けて講演したと直感しました。そして読んでみて「その通り」と思いました。

これは大変優れた内容です。この本が私のその後の「人間としてどのようにあるべきか」の基本となりました。高橋氏は、講演の結論として、ギリシャ哲学の人間の定義、つまり、「ヒューマンであること」を説明しました。

これには2つの意味があると説明しています。1つは、ヒューマニストであること、つまり、人を慈しむ優しさを持つことです。もう1つは当時のあるギリシャ神殿にある大理石像を見てその「美」を理解でき、またその「美」を作った「技術」を理解できる能力を持っている事と説明しています。

この説明にはまったく賛同できました。そして「だから、英語で人間のことを、Human Beingと言うんだ」と思いました。つまり「英語のHuman Beingは、2000年前のギリシャ哲学の結論そのもの」と思うと共に、「だから、英語で病院のことをHpspital、直訳すれば、慈悲院と云うんだ」と思いました。

お分かり頂ける通り、高橋氏が日本医学総会で医者の皆様に伝えたかった事は「医者であるまえに、ちゃんとした人間であって欲しい」、「つまり、Human Being」、「慈悲を実践する人間であって欲しいという思い、願い」です。この「思い」、「願い」を伝えたかったと思いました。

そして、これは医者だけではなく、すべての人間にも当てはまります。ちろん私にも当てはまります。私がその後、常に何があっても、「Human Being」として行動しようと思ったのは、この本を読んでからです。

コラム14 私の最も愛する友人のアドバイス

私の37年間のIBM人生を振り返って特筆したい「友人」がいます。彼が「愛と真理と正義」の「生みの親」と言っても過言ではありません。この方が「後田龍之さん」です。私が「愛と真理と正義」を導いたのは40才の時ですが、これには「後田龍之さん」が大きく貢献しています。

どういう事かと言うと、私は研究所に出勤すると毎朝外で煙草を吸いますが、この時に「話し相手」がいました。この方が「後田龍之さん」です。そのため、或る日の事ですが「後田さん、人生で重要なのは、真理と正義と愛だ」と話すと「その通りだけど、関さん、愛と真理と正義と説明した方が良いよ」とアドバイスしてくれました。

この意味は「愛が最も重要」という意味であり、私も「その意味」で「愛を一番最後にしていました」が「なるほど、その方が良いな」と思い、以降「愛と真理と正義」とする事にしました。「たったこれだけの事」ですが、これには非常に重要な意味があります。

結論から言えば、既に説明した「愛→真理→勇気→節制→正義」の「人間の5元徳」そして「愛すれば事を明らかにし、真理を見出し、真理に従う事」という「愛の実践知識」、更に言えば、「私の途方もない知識量を獲得するための膨大な思考の結論」と「それに付き合い、支えてくれた後田さんの毎日のアドバイス」があります。

ここで2つの事を紹介すると、1つは前記の通り、「私の37年間のIBM人生」は「科学技術者」としての「研究開発」ですが、もう1つは「君子」としての「途方もない知識量を獲得するためのすべての思考」があります。そして、これを支えてくれたのが「後田さん」です。

「後田さん」は毎日、私の話を良く聴いてくれました。但し、率直に言って、これは本当に大変だったと思います。この理由が2番目に紹介したい事ですが、これは「私の父」が「三郎、人間の頭は泉だ。新しい考えがコンコンと湧いてくる」と教えてくれたように、私は毎朝、目が覚めると「新しいアイデア」が生まれます。

そのためその事を朝からテンション高く人に説明しようとします。しかし、これは「聴く方」にとっては大変だったと思います。つまり「朝からガンガン一方的に言われる」ので「嫌なものだった」と思います。しかし、「後田さん」は本当に毎日良く聴いてくれました。そしてアドバイスしてくれました。

前記のアドバイスには「正論」と「現実論」を使い分ける「後田さんの聡明さ」があります。つまり「真理」と話し出すと「硬いイメージ」を与え、人は引いてしまいます。そうではなく「愛」と話し出せば、「和らいだ印象」となり、その後の「真理と正義」を自然に受け入れてくれます。この事をアドバイスしてくれました。

「後田さん」は私と同じ年であり、東大の物理を卒業した方ですが、大変心根の良い人でした。50代で亡くなりましたが、心から感謝しています。ご冥福を祈ると共に「感謝の意」を表明します。

お分かり頂ける通り、「後田龍之さん」は「友人」であり「私の同志」と考えています。今振り返ると「私」と「後田龍之さん」には「同志愛」があったと思います。

つまり「人生を真摯に生きるためにはどうすれば良いか」という「問題」に共に取り組んできた「同志」です。これが拙著『日本の問題を解く』そして「本ホームページ」を生み出したと言っても過言ではありません。ご冥福を祈ると共に、後田さんには改めて感謝申し上げます。

後田さん、やっと完成したよ。話しを良く聞いてくれて、本当にありがとう。

では次に「思考力」をお読み頂ければと思います。